コピーライトとコピーレフト、暗黙のコピーライセンス

 さて、のまネコ問題の時からちょこちょこと出ていたコピーレフトの問題である。これも前の俺様のコメントからの引用だが、

ただ、パブリックならともかくこれをコピーレフトとすること、これが現在の暗黙の了解であると思うのだが、「暗黙の了解のコピーレフト」というもの自体がひとつのダブルスタンダード性を持つのだということ、そしてそれがダブルスタンダード性を持つと殆ど意識されていないこと自体が問題だということを今は主張しておきたい。

 と書いた。これはモナーコピーレフトであると考えての発言だ。だがとんでもない。後で気付いたがこれには大きな間違いである。
 そもそもコピーレフトとはなんだろうか。その思想を大きく受け継いでいるwikipediaでは次のようになっている。


Wikipedia-日本語 コピーレフト


 あと英語版も。


Wikipedia-English Copyleft


 英語版の方が厳密にその意図を表現していると思われるので、これを引用しておく。
 Wikipedia-English Copyleft より先頭部分の一部引用

Copyleft : From Wikipedia, the free encyclopedia

Copyleft is a play on*1 the word copyright and is the practice of using copyright law to remove restrictions on the distribution of copies and modified versions of a work for others and require the same freedoms be preserved in modified versions.


 正しいか分からんが、俺様なりに訳してみてだいたい次のとおりと解釈している。
CopyleftはCopyrightという単語をもじったもので、著作権法*2によって、1)配布の制限を取り去る、2)改変バージョン(の作成)の制限を取り去る、3)改変バージョンに(元バージョンと)同じ自由を与えることを要求する、(この3つ)に対する実践」
 特に英語版の図表などを見ればなんとなく分かると思うが、Copyleftとは意図的にCopyrightと対立した概念である。その言葉の元は「ドン・ホプキンスがストールマンに宛てて送った "Copyleft--all rights reversed" というフレーズが元になっている」という。要はシャレ、右か左かという話である*3。日本語の「右」に暗にそういう意味があるのと同じく英語の"right"には「右翼、保守的」、"left"には「左翼、先進的、革新的」という意味がある。Copyleftの概念の提唱者である Richard Stallmanストールマン)氏は当時LISPインタプリタを製作した、所謂ハッカー(良い意味で)と呼ばれた人であろう。しかもSymbolics社に(著作権法を盾に)LISPインタプリタのカスタマイズバージョンのソース開示を拒否されたことが発端だという。であれば著作権を所謂右翼的・保守的なものとして、自分達は左翼的、先進的なのだという意味もこめたのではないかと思う。コンピューターコミュニティのちょいアングラーな人たちがウヨ嫌い、保守派嫌いなのは、当時のアメリカでも多分同じなのだろう。現在のアメリカでも割と嫌いな人が多いのじゃないだろうか。どこぞのガイドラインの言葉を借りて言うならこんなものだろうか。「著作権なんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」
 ただしここで一つ忘れてはならないのは、copyleftはcopyrightと対立する概念ながら、copyleftは実は著作権法が定める権利の現われのひとつで、著作権法がなければ成り立たないという点である。つまりコピーレフトcopyleft著作権の実践のひとつの形なのだ。


 ここで右翼左翼を挙げたのには意味がある。実際コピーレフトはフリーなコピーという側面のみが強調されるが、こと著作権によって制限をかけたがる人たちが主張する「著作権」に対する対立概念である。実際にはコピーレフトという概念には、「自由(フリー)」を保障するためにかなり厳しい「制限」があるのである。コピーレフトに基づく実際のライセンスとしてGPLがあるが、あれは単に使う上ではともかく改変利用する場合何気に結構厳しいライセンスである。GPLではなくLGPLだが、ageが一度LGPLに基づくソースを製品に利用しておきながら*4ソースコードを公開していないということで問題になった*5。ソース公開といっても全部ではないが、コピーレフトのライセンスに基づくなら少なくともそのモジュールに関しては、後継のバージョンに関してフリーであることを強制されるのである。
 ここでコピーレフトの要件をwikipedia 日本語から引用しておく。


Wikipedia-日本語 コピーレフト「概念」から一部引用

コピーレフトの考えでは、著作権保持者はそのコピー(複製物)の受取人に対して取り消しの出来ないライセンスを認め、販売を含む再配布を許可し、変更(改変)されることも可能とする必要がある。逆に、コピーレフトを利用する側では、このライセンスのものをコピーや変更、再配布する時にはこのライセンスをそのまま適用し、それを明確に示さなければならない。

コピーレフトの定義をまとめると次のようになる。

・創造物の使用、コピー、再配布、改変を制限しない
・改変したもの(派生物)の再配布を制限しない
・改変したもの(派生物)の使用、コピー、再配布、改変を制限してはならない
・コピー、再配布の際には、その後の使用と改変に制限が無いよう、全ての情報を含める必要がある(ソフトウェアではソースコード含む)
・使用、コピー、再配布、改変のいずれにおいても、コピーまたは派生物にコピーレフトのライセンスを適用し、これを明記しなければならない


 要するに、「自由(フリー)」とすることを永遠に強制し、制限する権利の一切を奪うライセンスなのである。誰それが嫌いとか、過去に誰が(別ので)ライセンス違反したからこのソフトの利用を認めないとか、どのような理由であろうと「制限すること」を一切認めないのである*6。ライセンスをきっちりと守る限り、Orrin Hatch上院議員*7だろうがavexの松浦社長だろうが、これを制限することはできないのである。こういう厳しさがコピーレフトにはある。copyrightを右翼だと言ったが、こうなるとcopyleftはある意味極左である。
 ついでに言えばクリエイティブコモンズ(以下CC)コピーレフトに近い概念ではあるが、あるパターン(帰属-同一条件許諾または帰属-非商用-同一条件許諾)を除いてはコピーレフトではない。ただCCであっても、後続のコンテンツ利用者に対しては思想信条門地帰属属性などを理由に利用者を選択するような制限は、その思想上一切許されない筈である。あと、これらのライセンスは常に、明示的にそのライセンスを表示する義務がある。


 ではもしモナーコピーレフトや、CCに基づいていたものだったらのまネコFLASHはどうなっていただろうか。どの時点でコピーレフトになっているかは問題だが、厳密に解釈するならまずのまネコFLASHの元となるマイヤヒーFLASHが成立しない。"DRAGOSTEA DIN TEI"がコピーレフトに基づかない以上、マイヤヒーFLASHコピーレフトとすることが当然できない。いや当然だ。その辺を無視というより押し通してコピーレフトとした場合、avexがCDのエクストラトラックとしてマイヤヒーFLASHを収録する際に、まずこれの元がモナーの改変バージョンであること、これがコピーフリーであることのライセンスがCDに盛り込まれることになる。あとはわた氏が作成したFLASHのActive Scriptも収録または公開されることになるだろう。また、FLASHとしてひとつの分離不可能なコンテンツになっていることから、"DRAGOSTEA DIN TEI"自体をコピーレフトとすることでマイヤヒーFLASHそのものをコピーレフトとすることができるだろう。逆にいうと、コピーレフトに基づく場合、そうしないとマイヤヒーFLASHコピーレフトとすることはできないのである。もっとも「モナーが」コピーレフトに基づいていたとしても、音楽(DRAGOSTEA DIN TEI)と映像(モナー)はそれぞれ別の著作物であるという考えもあり、この場合音楽を除いたFLASH部分のみがコピーレフトとなるという解釈もありえる(実際問題としてはかなり無理があるが)。マイヤヒーFLASHの件で言えば、コピーレフトのライセンスに基づいてきっちりやるなら「コピーレフトに基づくモナー」のマイヤヒーFLASHavexがCDに収録することは可能ということだ。
 さらにその後、それがコピーフリーであるというライセンスをつけることにより、avexだろうがどこのレコード会社だろうが、モナーや改変バージョンを使うことができるようになるのである。この場合、CDから吸い出しての配布は自由だとしても、有料の製品にモナーを含めることは可能なわけである。ただ実際にはいろいろ問題があり、そういう形で使われる可能性は低いのだが。
 ともかく、コピーレフトやCCに基づくなら、(有償利用はともかく)後続の著作物が同じライセンスに従う限り、「誰がどのように」使おうともそれは許されなければ「ならない」のである。はっきり言って、2ちゃんねらーやあめざー的にそれはOKなの?って感じだ。いや多分OKじゃないだろう。そこには、暗黙のうちに「自分達のもの」という了解があるからだ。それと、そんな面倒な条項をモナーに背負わせることも嫌うだろう。


  • 「コミュニティが生んだ著作物」に存在する暗黙の「コピーライセンス」

 上で論じてきた通り、2chで言えばモナー*8モララー虹裏で言えばOS娘や虹裏メイド達はコピーレフトではない。これらのコミュニティ発祥のキャラクターや著作物で、プログラム以外のものでコピーレフトになっているもの、又はCCのいずれかに属するコンテンツはどれほどあるだろうか。CC宣言されているコンテンツならいくらかあるようには思うが、完全なコピーレフトが宣言されているものはごく少ないと思う。そもそもこれらのコンテンツは以前から論じている通り、多数の手によって生成されるという性質があり、これらの著作権者を著作権法が規定することができない。だとするとライセンスを規定すること自体がまず大変に困難だ。極端に言うと、基本的にはコピーライト(著作権法の保護)の範疇外であり、コピーレフトにすることすらできないのである。だからといって完全にパブリックドメインかというとそうではなく、だいたいは暗黙の著作者がいることになっている。実際詳細にルーツを追っていくと何かしら原典および最初の製作者が見つかることが多い。
 コピーライトではない、コピーレフトでもない、パブリックドメインとも言いにくい、クリエイティブコモンズのような中間ライセンスでもない。ではこれらの「コミュニティが生んだ著作物」はどのようなライセンスに基づくのだろう。


 これにはいろんな考えがある。虹裏で生まれたOS娘に関しては、現存の系列のキャラについては「最初のデザインを発表した人がその系列キャラの原著作者である」というのが一般的であり、また「虹裏や関連コミュニティ内での利用に関しては基本的に自由、ネットランナー他商用での無断利用は認めない」というのが暗黙または明示的な了解である。めどいさん達については俺様の知る限りそういうのはないと思うが、一般に虹裏発祥キャラ(元キャラが暗黙のうちに存在する派生キャラについても)については、虹裏コミュニティ内であれば基本的に自由に利用し、派生することができる。なおこの場合、「虹裏及び関連コミュニティ」の範囲はしばしば主観的であることに注意してほしい。
 2ch発祥のキャラや、2chがその初期にあめぞうなどから取り込んだAA系のキャラクターについてもほぼ考えとしては同じだろう。AAなどはもう少し適用範囲が広く、ネット内で言葉として使う分にはほぼフリー、誰もモナーのAAを個人blogで使ってるからといって咎める人はいるまい。ドワンゴのCMや電車男で「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!?」を使っていたとしても…これは文句言う人もいるか。ただドワンゴひろゆき氏の許可を取っているし、あのような形で使うのは2chに対して一定の敬意を払っているということでもある。フーン兄弟がどんなキャラか分かっていなければ、あの動画は作れないだろう。
 どっちにせよ、2ch産AAキャラのうち有名なものに関しては、ネタ元に暗黙の敬意を払っていれば個人レベルの利用はほぼフリー、商用利用でもちょっとならOKみたいなノリはあるとはいえ、一応これらには暗黙の制限はある。コミュニティ内でクローズすること、コミュニティ外で使う場合は発祥コミュニティに対し一定の敬意を払うこと、だいたいこの2点であろう。
 有名でないキャラの場合についてはちょっと別のように思う。あるコミュニティ発祥であることがまだ一般に知られていないネットキャラなどの場合は、その持ち出しが暗黙のうちに制限されるか、又は持ち出す際に発祥を書かなければちょっとマズい結果になるんじゃなかろうかと思う。例えば2ch発祥の新しいAAキャラをどこかのblogが2ch発祥であることを明示せずに引用し、それが有名blogに紹介されて2ch発祥が知られないままAAキャラだけが蔓延したというシナリオを想定しよう。その「どこかのblog」が炎上する可能性は高いんじゃないだろうか。
 この場合言えるのは、そのキャラクターの発祥が認知されている範囲、又はそれを拡大するための手段として持ち出すことは許され、非認知の範囲に非認知のまま持ち出されることは暗に制限されるということだと思う。つまりは、「そのキャラクターはナニガシのコミュニティのものである」と主張できる範囲で持ち出すことができるのではないかと思うのである。


 これが虹裏発祥のキャラの場合はもうすこし厳しい暗黙の了解がある。基本的には勝手に広く認知されるまでは、虹裏や関連コミュニティと関係ないところへ持ち出すことに対して、暗黙のうちに制限が課せられる。「」が自分のblogにそのキャラを貼るのは良い。保管庫に保存するのも良い。だが保管庫などは、虹裏コミュニティとして閉じたサイトからのリンクしか認めず、大手blogからのリンクを認めないものも多数ある。リンクを厳しく制限しているサイトもある。つまりは、虹裏コミュニティ外に不必要に広がらないよう、暗黙のコントロールがなされていることになる。これを含め全体として虹裏コミュニティは外に対して閉じた側面があり、それが暗に嫌われている面もある。
 ただこれには理由がある。新たな住民、特に空気の読めない人たちがそのコンテンツ目的に虹裏流入するのを嫌うのがその最大の理由である。確かに、自分達のコンテンツを他に持ち出されたくないという感情的な理由はあるだろう。しかしそれ以上に空気の読めない厨房の流入を望まないという実質的な理由の方が実は大きいのではないかと思う。
 当時のとしあき、現在の「」がそのように閉鎖的なコミュニティとしているのには、悲しき歴史的な事情がある。そもそもOS娘とは?でもちょっと触れているが、虹裏キャラとして最初の大規模なものであるOS娘、その最初であるMeが生まれたとされるのが2003年8月だ。当時「としあき」は、ネットランナーという悪名高い雑誌と戦っていた。正しくは、ネットランナーが画像ダウンロードツールであるBerryというのを虹裏で利用する方法を大々的に紹介したことが発端だ。これにより画像ダウンロード目的の厨房(通称Berry厨)が押し寄せ、サーバに大変な負荷をかけた。これによりimg鯖は何度もダウンし、バグを起こし、表示は極端に遅くなった。俺様が虹裏に流れ着いてコラ職人としての活動をはじめたのもそのちょっと前ぐらいだった。このために当時のとしあきネットランナーとBerry、そしてBerry厨を徹底的に嫌うことになる。今でも虹裏コミュニティ系のサイトに行けば、禁ネットランナーが貼られているのをよく見かけるだろう。俺様も俺様かく語りき(このブログは)で「ただし、ネットランナー及び俺様が嫌いないくつかの雑誌やマスコミについては断るのでご容赦頂きたい。」と書いている通り、ネットランナーは大っ嫌いなのである。虹裏の件もあるが、それ以外にそもそも雑誌のあり方が大嫌いである。あんな厨雑誌永遠にこの世から消えて無くなれ、深夜零時の地獄通信に「ネットランナー」と書いてやろうかと思うぐらい嫌い*9である。俺様の中でのネットランナーヒエラルキーspam並である。
 …さておき。
 だがネットランナーの横暴はそれだけでは済まされなかった。ネットランナーのオマケとしてつけたトレーディング?カードで、こともあろうに虹裏発祥であったOS娘のうちMeを、2ch発祥だとした上で無断利用したのである。2chとすることで、虹裏サイドから直接非難を浴びるのを避けようとしたのかもしれない。が、当のとしあきにしてみれば自分達のコミュニティのキャラをしかも2ch発祥だと言われ、しかも自分達の最も嫌っている雑誌に発表されてしまったのである。馬鹿にするにも程があるというものである。それ以来ネットランナーは永遠に虹裏の敵と認定された。本来虹裏では絵師の正体には触れず詮索せず、絵師は名乗らず、の暗黙の了解があった。しかし緊急避難として、この時は最初のMeのデザインを描いた絵師がMeあきとして名乗り出て、Me及び「とらぶる・うぃんどうず」については虹裏コミュニティ内での利用はOKだがネットランナー、その他虹裏に無関係のコミュニティで利用を制限するようなルールが出来た。その後「ネタ具現化委員会」のフィギュア商品化などがあり、最初のデザインを発表した人をとりあえずの原著作者とすること、虹裏コミュニティ内での利用にとりあえず制限され、それ以上は最低限原著作者の許可が必要という暗黙の了解が生まれた。
 このネットランナーの件は、コミュニティから生まれたコンテンツに対し、その発祥コミュニティに対して敬意を払うどころか仇で返し、発祥コミュニティに大きな被害を与えて大きな問題になった典型例である。
 その後OSたんFLASHが生まれた際、大手blogなどに紹介されあっというまに広まり、OS娘というコンテンツ目的で大量の空気の読めない人間が流入することになった。これにより板の治安は一時的に悪化することになる。このような事件を得て、大手blogへの掲載禁止というローカルルールができることになる。(こちらは適用されてない例も多い)
 虹裏2chと異なるのは、2chがスレッド式の掲示板としての体裁を保ちある程度スレッドが持つ(ニュー速などの実況スレなどでごく一部の例外はあるが)のに対し、虹裏は大変に流れが速く、住民が「常駐」していることにある。前も書いたが、掲示板としてよりはチャットとしての性質が強い。リアルタイム性が高いだけに、こういう場所に空気の読めない人間が多く入ってくると板は荒れやすい。こういう空気は、としあきが信条とする「エンジョイ&エキサイティング」の雰囲気を壊し芽を摘んでしまうことから好まれない。それが長時間続けば、「エンジョイ&エキサイティング」な場ではなくなってしまう。だから「空気の読めない子」が多く流入することをとしあき(「」)は大変に嫌うのである。
 ちょっと話がそれたまま長くなったが、とにかく虹裏やその他ふたば発祥のコンテンツについては、ある程度閉じたコミュニティの中での利用は自由、個人としてはコミュニティに属している人間であればOK、それ以外の個人的利用は発祥と敬意を明確にしろ、個人的でも大手blogなど集客力のあるコンテンツでの利用不可、商用利用はコミュニティの許可が必要(実質的にはかなり難しい)、というのが暗黙の了解だと思う。


 2ch発祥、ふたば発祥のコンテンツについてある程度共通しているのは、その利用を「コンテンツに関わる名誉をコントロール可能な範囲のみに絞っている」ということではないかと思う。こと「コミュニティが生んだ著作物(コンテンツ)」に関してはほとんどが暗黙のうちに共有可能である。そのコンテンツが良いものであれば、ある程度は自然に広がっていく。「そのコンテンツは自分達の生んだものであり、自分達の手の中にある」という範囲で共有されていくべき、そこから逸脱するなというのが、多分「暗黙のライセンス」の正体ではないかと思う。ふたば系の場合はそれにさらに暗黙のコントロールが付随し、できるだけコミュニティ内のみでの使用を心がけるよう、発祥コミュニティを理解している人間のみにその範囲を限るという考えがあるのだろう。


 こういう性質を考えても、ネットキャラ、「コミュニティが生んだ著作物(コンテンツ)」についてはコピーレフトと考えることは難しいように思う。暗黙のうちに、ある程度主観的に定められた範囲のみに利用が制限され、その後徐々にその範囲が広がっていくというのが実情なのではないだろうか。これはパブリックドメインでもなければコピーレフトでも、クリエイティブコモンズでもない。暗黙のライセンスとでも言う他ないものだと俺様は思うのである。


 上記のような性質を考えるならば、結局のところモナーなどといった「コミュニティが生んだ著作物(コンテンツ)」を支配するのは、明示的なライセンスではなく、感情的かつ主観に基づく、漠然としたものによるのだろう。結局これは、これまで言ってきたように宗教的著作物やフォークロアというような、ある程度限られた範囲の人たちだけが暗黙のうちに利用を許されるコンテンツなのではないかと思う。その発祥、成立、暗黙性、感情的な側面をみても、そういうものが多分一番近いだろう。


 今日の最初にITmediaのリンクを挙げているが、特集として次のようにまとめている。前述のニャー速の話も、ここから辿って見つけたものだ。


ITmedia CGMは誰のもの? ニュースで見るコンテンツビジネスの現在


 主にこれは著作権や、実際の事件のみに焦点をあてて語られている。だが、こういう感情的な側面、それを著作権法が保護しえないという側面も忘れるべきではない、俺様はそう考えるのである。

*1:play on: スペースアルク訳でこの場合「つけこむ」など

*2:これは著作権関連の国際条約と、それぞれの国の著作権法に基づく。

*3:本来copyrightという言葉のrightは「正当性」とか「当然の権利」という意味である。またrightsだと「権利」という訳になる

*4:ageのスクリプトシステムであるrUGPで、LGPL準拠のmpg123(http://www.mpg123.de/)のソースコードを流用していたということらしい

*5:現在は公開されている

*6:ただし、確かGPLにはGPL違反の際の例外があったように思う

*7:アメリカの上院議員なのだが、殊更に(大企業の)著作権を擁護し、フェアユースを制限しようという法律を作りたがるので、FSFとかこういうコピーレフト支持者に嫌われている。フリーソフト著作権論議などでもこの人の名前はよく出てくる。

*8:繰り返し言うがモナーあめぞう発祥(ry

*9:かといってそんな「下らない」もののために地獄に行くのは願い下げというあたりチキンな俺様である。