2chジャイアニズム論

 さて、blogとしては2つ前ながら半年前にした引用をもう一度繰り返そう。当のDryad氏もすっぱり忘れているような気もしなくもないが。


24-Hour Survival 2005/10/08 [ネット] 2chと帰属意識より

普通に考えれば、他者の著作物を参照してパクる一方で、他者から参照されパクられる事にのみ抗議を展開するのは、正しくジャイアニズム*1であり、ダブルスタンダードと言うほかない。以前と同じ結論になるが、やはり、2ちゃんねら*2にはコミュニティ外部の世界が見えていない(興味がない)としか思えない。


 これは俺様も認めている通り、2ch虹裏といったコミュニティでは表立って平気でこういうことが行われる。著作権上も無論問題ありだ。世の中こういうダブルスタンダードというか、ジャイアニズムが存在することは否定しようがない。俺様ははっきりそれは認めるし、2ちゃんねらーがいくら否定しようがどこかしら無理がある。2chやふたばという場所は基本的に取り込み文化であり、一度取り込んだら「俺のもの」である。それが新たなものを生んで外に出て行く場合もあるが、だいたいは取り込んで消費して消えてしまう。ではなぜこういうことが「まかり通れる」のだろうか。


 まずひとつ言えるのは、それが無限に増殖でき、「実体としての」被害を生まないからである。もちろん厳密に考えれば殆どは著作権上の被害が発生するとも言える。これがmp3の音楽データなどであればRIAAJASRACがお手紙を送ってくるだろう。「な、なんだってー!!」のAAであれば、何がどう著作権の被害なのかはかなり難しいのだが、それでも一応著作権の侵害が発生したと作者が主張することは可能なのである。どっちにせよ、作者が意図しない方向でネタにしていることは間違いない。
 だが具体的にどのような金銭的被害が発生したのかも分からないし、それで誰かが持っている単行本が盗まれるわけでもない。そりゃ本やCDなどを万引きすれば悪いって分かってるし、それが罪であることもよく理解している。実際窃盗罪だ。ところがこれがnyでmp3をupすることは軽々しくやってしまう。これは著作権法違反なのだが親告罪だし、刑罰としても窃盗ほどには重くないはずだ。実際には逸失利益という被害があるのだが、直接被害を蒙る人がいないために被害者を生むという感覚はない。だいたいアレだ、逆にダウンロードする側に立った時、それをタダでダウンロードできなかったからといってそのCDを買うかというと必ずしもそうではない。となると逸失利益ってどうなるの?と思うわけだ。気軽にコピーできてしまう以上、罪の意識はないか薄いかである。


 二つ目に言えるのが、「パロディはパロディした側のもの」論である。
 上の「な、なんだってー!!」のAAの件で言えば、あれを使う人は元ネタがMMRだと知っていて、なおかつあのAAはパロディの一種だと捉えるだろう。日本ではパロディは著作権侵害だと主張可能だが、かといってパロディに目くじらを立てるのは大人気ない。「な、なんだってー!!」のAAの話は俺様よく出すが、もし作者が怒ってあれを制限したとしたら、俺様は「大人気ない話だ」と切り捨てる。
 日本では一般にパロディ、オマージュ、本歌取りなどは昔からかなりゆるやかに認められている。それが文化発展の一形態としてかなりきちんと認められているからだ。昔から日本の芸能は、師匠からパクることからまずはじまっている。同人誌などが訴えられないどころか、ファン活動として暗黙の了解となっているのはそういう事情による。一部は明らかにそれをマーケティング的に狙った作品もあるし、時には制限すること自体がマーケティング的にマイナスになるような作品もある。
 要はそれがパロディとなったとたん元作品の手から離れる。規模にもよるが、それが作者の怒りを買わない限りは、そのパロディはパロディを行った側の手に委ねられることになる。この辺は俺様もそうなのだが、確かに元作品に対する絶対の敬意をこめてコラを作ることは多い。だが、稀には元作品に対する絶対的な批判を込めてコラを作ることもあるのである。そうでなくとも、何かしら批判的な意図を含ませることは少なくない。そんな場合に、それが元作者の手にあるものとは誰も思わない。当然間違ってはいるのだが、そのパロディは心情的には「パロディした側」のものだ。作者のものでは少なくともありえない。「借りているけどオリジナル」という、何か間違ったものなのだ。
 「漏前のモナーは俺のモナー」?で、下り一方向の「俺のモノイズム」について語っているが、同人誌なんかでも「(借りてるけど)オリジナル」の考えは結構多いのじゃないかと思う。


 3つ目が「消費者の論理」である。
 おもしろいコンテンツがあれば消費者は欲しいもの。その入手にいくつかの手段があった場合、普通は安く手に入る方向に進む。またコンテンツがデータであれば、その蓄積は基本的に無制限である。こういった場合、人間はコンテンツを無限に蓄積しようという傾向が生まれる。例えそれが消費できなかったとしてもだ。要は無料で無限にコンテンツが存在する場合、実際はほとんど死蔵になるとしても人間はコンテンツをできるだけ取り込もうとする傾向がある。今後絶対見ることがないと思われるアニメでも、DVDレコーダー
で予約が入っていればHDDの容量が許す限り録画しつづけるものだ。悲しきマニアの性、見なくてもいちいちDVDに焼いて保存するのである。これは別に珍しい話ではない。俺様のようなオタクの世界では実によくある話だ。
 コンテンツの世界においては、消費者(集団)というものはミクロでもマクロでもそういう傾向がある。生産者がコピーをばらまき、消費者側が一方的に取り込んで蓄積する。これがビジネスかそうでないかは、そこに金のやりとりが発生するかぐらいだろう。でなきゃ広告が発生するかだ。
 2chやふたばの場合、さらに消費するだけでなくある程度参加することも可能だ。だが、基本的には雑談するにもスレで論議するにも、消費者の理論が生産者の理論に先立つのではないかと思う。生産者の理論が消費者に先立つのは、プログラムなど一部の作成系のスレと、ネタスレだけではないだろうか。ネタスレにしたって、3/4は何らかのパロディじゃないかと俺様思う。それが新たな生産だとすると「パロディはパロディした側のもの」論に基づき、結局コミュニティ内で使いまわされるのである。


 4つ目が、「ジャイアニズムの担保」である。
 上の3つで挙げた理由によって取り込んでパロディしてネタにすることに罪の意識はもともと低いのだが、その上に匿名掲示板というシステムがこの「ジャイアニズム」の実践を担保するものとなる。一つは個人を特定されないという性質、もう一つがみな同じ穴のムジナという同一意識である。一人ではやらないようなことでも、2chにくれば周りは無限の「名無しさん」である。作者に怒られそうなパロでも2chならまず個人を特定されることはない。よほどひどいものであれば別だが、でなきゃ詳細に追うこと自体が難しいし労力に見合ったリターンがない。誰かが特定できない、みんなでやれば怖くない。これは「漏前のモノは漏れのモノ、漏れのモノは漏れのモノ」ということを担保するものとなる。さらにこの場合の「漏れ」とはコミュニティ全体をも指す。2chのスレに書かれればそれは2ちゃんねらーの誰でも参照可能なわけで、必然的に共有されるものとなる。2ch内では「漏れのモノは漏前のモノ、漏前のモノは漏れのモノ」ただし「漏前のモノ」にしたところで「漏れのモノ」でなくなるわけではない。「漏れのモノは漏前のモノ、漏前のモノは漏れのモノ」と「漏前のモノは漏れのモノ、漏れのモノは漏れのモノ」が同時に成立することになる。多分実際には「2chコミュニティ内でパブリックなもの」と考えられてるのではなかろうか。ただそれは実際にはパブリックではなくて、2ch全体として「漏前のモノは漏れのモノ、漏れのモノは漏れのモノ」のみが成立していることに留意する必要がある。


 この4つで俺様が言いたいのは何かというと、要は消費者集団はそれを担保するものがあればジャイアニズムに進むのと違うか?ということである。2chという場所はもともと誰でもどこでも匿名で陰口を言える場、アングラーなものを交換する場として生まれた性質があると俺様思うのだが、それが消費者ジャイアニズムを担保する場としても機能している。他方のふたばは、もともと共有型のコミュニティとしての性質を持っており、暗に消費者ジャイアニズムを担保する機能を備えている。そういう場所に匿名の消費者が集まれば自然そうなるんじゃないかと俺様は思うのである。
 自然そうなるといっても、それで責任逃れしてもよいという訳ではない。が、そもそもそれがジャイアニズムであること自体理解されてない以上、誰も責任を取ってはくれない。それが「自然」であって、そこに責任なんぞないのである。全く、「ここはひどいインターネットですね。」なのだが、実情は「今更どうしろってんだ?」である。
 この消費者ジャイアニズムについては、2ちゃんねらーが集団としてそういうものを持っているという可能性について、2ちゃんねらー諸氏や「」に気付いて欲しいなと思わなくはない。ただ、俺様もそれはよく忘れるし、普通の消費者がそれを意識するかはちょっと難しいと思う。もちろん、この2ちゃんねらーの態度に批判的な人は多数いるだろう。その上でちょっとだけ考えて欲しいのが、自分が消費者だったときに同じような考えしてない?ということである。まぁ、潔白な消費者も多いのは事実なんだが。


 と、ネタみたいな言い方だが上の話からもう少し深刻な話になる。上のは、まぁ程度の差はあるが、あくまで「消費者ジャイアニズム」のレベルである。集団として無意識にジャイアニズムを発揮するだけで、個々人としては普通の消費者だ。場合によってはギブアンドテイク、せめてそのコンテンツに対してプラスの反応を返したり、実際の消費行動に結びつく場合もある。
 ところが、ネットの中にはもっと深刻なジャイアニズムを発揮する人たちがいる。というかジャイアニズムというが、ジャイアンはそれでも時々はのび太ドラえもんに対してまともな面も見せる。映画版なら尚更だ。そうではなく、こいつキティガイと違うか?と思うぐらい一方的にお客様ヅラする「消費者様」がネットには存在する。正直ジャイアンにすら失礼だと俺様は思う。
 2chでもそうだし、ふたばにいる人はもっと出会う機会が多いと思う。俺様は特に自作絵や萌え壁紙系の板でこういうのをよく見かける。とにかく一方的にコンテンツを消費するだけでなく、何の権利があってかよく分からんがさらなるコンテンツ、情報を要求する。その消費した後に出てくるものと言えば文句ばかり。運悪くそういうのに出会った時、俺様は「なーんでこんなのにエサをやっちゃったんだろ」と思うものである。実際気に食わない場合「(〜できる)けど、漏前の態度が気に入らない」というコラで返す場合もある。
 これは職人や絵師に聞いてみたいが、そういう経験はないだろうか。多くの作品を作っている人なら、少なくとも一度は出会ったことがあると思う。それが嫌で職人をやめてしまったという人も、何例か聞いたことがある。これは職人としては非常に理解に苦しむのだが、とにかく、モノを作る人に対する敬意が全くない人物がいるものである。その「消費者様」はタダでそれを手に入れるにも関わらず、職人がそれを作らなければ「消費者様」はそれを得ることができないにも関わらずだ。
 だいたいにおいて、そういう「消費者様」は要求するばかりで自分から何も出すことはない。さも自分ができるような主張をしておきながら、一切自分で手を下すことはない。要求一方でスレ(板)も荒れる。自分がそれを得ることは当然の権利であり、少しでも気に食わなければマイナスの反応を示す。多分、これを読んでいる人も少なくとも一度ぐらいは出くわしたことがあるのじゃないか。いったいこういうのは、どういう輩なのだろうか。


 これについては、俺様は実際の人物として確認した例はない。あくまで想像で語るのだが、完全に消費一方の人間というのがいるのではないだろうかと思うのである。つまりは、全く作る側の心情を理解することができず、ただただ自分の欲望だけで消費のみを続ける人間がいるのではないか、ということである。この場合、その「消費者様」は与えられること、与えられたものを消費することしか知らないらしい。漫画などで描かれるオタクのステレオタイプの一つとして、働きもせずただずっとPCのディスプレイに向かい、何かをダウンロードしつづけ、ただひたすら文句ばかりを言いつづけているという姿がある。現実にそんな物体…いやオタクが存在しているとは俺様オタクとして思いたくないのだが、多分本当に、そういうのは存在するのだろう。(昼からずっとノートPCに向かって文句を書き連ねてる俺様が人の事言えた義理ではないが)
 思うにこれは、価値観を根本的に失っている人なのではないかと思うのである。その「消費者様」が欲するコンテンツは常にネットのどこかにあり、タダで「消費者様」の手元に届く。ネットに存在しないものは存在しない。自ら探そうとせず、努力して手に入れようとも考えない。自分が手に入れられるものが世界の全て、それ以外は存在しない。こうなると、モノの価値という概念自体がなくなってしまうのではないだろうか。得るための費用も、労力も必要ない。自らが何も失うことなく、何も生み出す必要もない。だとすると、そうやって得たコンテンツに何か価値を見出すことができるだろうか。自分が求めた、表面的な価値以外に。気に入らなければ捨ててしまえばよい。かわりのコンテンツはいくらでも手に入る。時間もある。自分はただ消費していればいい…
 本人にしてみれば楽で楽しい生活だろう。だが、モノを作る立場に立った時、これは非常に恐ろしいことだ。人物がではなく、そういう生活そのものがだ。また本人不幸でなかったとしても、それは不幸極まりないと思う。モノを作る喜び、完成した時の喜び、上を目指すという生き甲斐、そういうものは一切ないのである。そういうのに出会ってしまった職人は不幸だ。だが、よくよく考えてみるとそういう「消費者様」もまた不幸なのである。しかも同情の余地は全くない。


 さて、こういう「消費者様」が世に出た場合はどうなるだろうか。もちろん全てにおいて「消費者様」でない場合も多い。そういえば俺様にも大変嫌いな「消費者様」が何人かいた。一人は「社員」を消費する人物だった。残念なことに彼らは会社の中では上の方にいた。嫌いだったが、会社の中で彼らは必要だった。それは俺様も認めざるを得なかった。それは全部が「消費者様」ではないからである。少なくとも彼らのお客様の前では。
 だが、全てにおいて「消費者様」だったらどうか。それは彼らの不幸だろう。


 悲しいかな、そういう人物が世の中に増えている気がするのである。


  • もし2chが責任を取らされたら…?

 さてここから、ある意味2ch批判派にはもう少しひどい話?になる。いや、2ch批判派諸氏に2ch批判をやめろというのではない。あれは十分批判されて然るべき場所だと思うし。俺様も見ての通り、2chに対しては住民ながら全体としては批判的だ。
 もちろんあなた方が批判するとおり、2ch全体としての姿はジャイアニズムであり、一方的であり、無責任である。俺様はこれは否定しない。それはちとまずくね?と思うこともしばしば、批判と非難と誹謗中傷の区別はつけようやとは常々言うが、その区別ができているとも思わない。
 ではそれが誰の責任かといえば、これも何度か言う通りその実体は不特定多数の集団であって、2ch全体の責任を背負う人間はいない。敢えているとすれば管理人ひろゆき氏だが、これまた態度は割と無責任だ。実際、全ての責任を背負えるとも思えない。
 そうした実体の中で、「2ch自体がなくなってしまえば良い」という意見を時たま見かける。2chが存在すること自体が問題なのだという説もある。確かにこれも、意見としては否定しない。そう思う人が多いことも納得はする。


 だがよ、これまたちょいと怖いシナリオだ。現状2chが存在するわけだが、それがある日突然、または段階的になくなったらどうなるか?と考えたことはあるだろうか。現に実際転送量オーバーでそれは一度起こりかけたし、winny問題華々しい昨今、2chが政治的に問題視されてつぶされる可能性だって確かにある。だが、その結果どうなるかというシミュレーションをしたら、果たして出る結果はどうだろう。


 まず、2chだけが突然なくなったとしよう。俺様はメインはふたば住民だ。2chがなくなったとしてもリソースとしてそれが消えること自体はあまり困らない。だが、2chだけが突然消えてなくなる、それはふたば住民にとっては脅威だ。つまり、その時点で絨毯爆撃ではなく洪水が起こる。大量の難民流入だ。はっきりいってふたば全体が、コミュニティとして維持できるかがまず怪しい。また、ふたばのみならず、他の多数のサイトにも2ch難民が流入するはずだ。そりゃ確かに2chが消えることで2ちゃんねらーでなくなる人も多いだろう。だが、2chでなくなっても2ちゃんねらーでありつづける人もまた多い筈だ。もし2chがなくなったとして、VIPが消えたとして、簡単にVIPPERが消えると思うか?多分それはないだろう。
 後はだいたい同じだ。2chが潰れてもふたばが潰れても、それが段階的だろうが突然だろうが、必ず難民は発生する。もともと300万人のコミュニティ、アクティブユーザがその1/10の30万人だったとしても、それが難民化したらどうなるだろうか。新たな「2ch」が生まれるか、いろんな場所に多数の難民が流入するか、または矛先がどこかに向くか…。どれにしても、あまりいいシナリオは俺様には浮かばない。


 そりゃ、2chに消えてなくなって欲しいと思うのは別に構わんと思う。それだけの恨みも買っているだろう。だが、少なくとも俺様は、その後の結果を考えると、2chに消えて欲しいとは安易にも言う事はできない。もし2chを平穏に消そうとするなら、1999年*3にまで遡って消えて頂くしかないのではないか。それが可能であれば、だが。


 延々書いたが、これでのまネコ関連の話題はようやく終わりである。
 電撃帝王の件も書かねばと思うのだが、さていつ終わるか…?

*1:原文注釈:「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの。」

*2:原文注釈:「の一部の人」って付けても良いですけど、まぁとりあえずこれで。

*3:2chの発生には諸説あるが、wikipediaでは1999年5月という説がもっとも有力だとしているのを採用した。

コピーライトとコピーレフト、暗黙のコピーライセンス

 さて、のまネコ問題の時からちょこちょこと出ていたコピーレフトの問題である。これも前の俺様のコメントからの引用だが、

ただ、パブリックならともかくこれをコピーレフトとすること、これが現在の暗黙の了解であると思うのだが、「暗黙の了解のコピーレフト」というもの自体がひとつのダブルスタンダード性を持つのだということ、そしてそれがダブルスタンダード性を持つと殆ど意識されていないこと自体が問題だということを今は主張しておきたい。

 と書いた。これはモナーコピーレフトであると考えての発言だ。だがとんでもない。後で気付いたがこれには大きな間違いである。
 そもそもコピーレフトとはなんだろうか。その思想を大きく受け継いでいるwikipediaでは次のようになっている。


Wikipedia-日本語 コピーレフト


 あと英語版も。


Wikipedia-English Copyleft


 英語版の方が厳密にその意図を表現していると思われるので、これを引用しておく。
 Wikipedia-English Copyleft より先頭部分の一部引用

Copyleft : From Wikipedia, the free encyclopedia

Copyleft is a play on*1 the word copyright and is the practice of using copyright law to remove restrictions on the distribution of copies and modified versions of a work for others and require the same freedoms be preserved in modified versions.


 正しいか分からんが、俺様なりに訳してみてだいたい次のとおりと解釈している。
CopyleftはCopyrightという単語をもじったもので、著作権法*2によって、1)配布の制限を取り去る、2)改変バージョン(の作成)の制限を取り去る、3)改変バージョンに(元バージョンと)同じ自由を与えることを要求する、(この3つ)に対する実践」
 特に英語版の図表などを見ればなんとなく分かると思うが、Copyleftとは意図的にCopyrightと対立した概念である。その言葉の元は「ドン・ホプキンスがストールマンに宛てて送った "Copyleft--all rights reversed" というフレーズが元になっている」という。要はシャレ、右か左かという話である*3。日本語の「右」に暗にそういう意味があるのと同じく英語の"right"には「右翼、保守的」、"left"には「左翼、先進的、革新的」という意味がある。Copyleftの概念の提唱者である Richard Stallmanストールマン)氏は当時LISPインタプリタを製作した、所謂ハッカー(良い意味で)と呼ばれた人であろう。しかもSymbolics社に(著作権法を盾に)LISPインタプリタのカスタマイズバージョンのソース開示を拒否されたことが発端だという。であれば著作権を所謂右翼的・保守的なものとして、自分達は左翼的、先進的なのだという意味もこめたのではないかと思う。コンピューターコミュニティのちょいアングラーな人たちがウヨ嫌い、保守派嫌いなのは、当時のアメリカでも多分同じなのだろう。現在のアメリカでも割と嫌いな人が多いのじゃないだろうか。どこぞのガイドラインの言葉を借りて言うならこんなものだろうか。「著作権なんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」
 ただしここで一つ忘れてはならないのは、copyleftはcopyrightと対立する概念ながら、copyleftは実は著作権法が定める権利の現われのひとつで、著作権法がなければ成り立たないという点である。つまりコピーレフトcopyleft著作権の実践のひとつの形なのだ。


 ここで右翼左翼を挙げたのには意味がある。実際コピーレフトはフリーなコピーという側面のみが強調されるが、こと著作権によって制限をかけたがる人たちが主張する「著作権」に対する対立概念である。実際にはコピーレフトという概念には、「自由(フリー)」を保障するためにかなり厳しい「制限」があるのである。コピーレフトに基づく実際のライセンスとしてGPLがあるが、あれは単に使う上ではともかく改変利用する場合何気に結構厳しいライセンスである。GPLではなくLGPLだが、ageが一度LGPLに基づくソースを製品に利用しておきながら*4ソースコードを公開していないということで問題になった*5。ソース公開といっても全部ではないが、コピーレフトのライセンスに基づくなら少なくともそのモジュールに関しては、後継のバージョンに関してフリーであることを強制されるのである。
 ここでコピーレフトの要件をwikipedia 日本語から引用しておく。


Wikipedia-日本語 コピーレフト「概念」から一部引用

コピーレフトの考えでは、著作権保持者はそのコピー(複製物)の受取人に対して取り消しの出来ないライセンスを認め、販売を含む再配布を許可し、変更(改変)されることも可能とする必要がある。逆に、コピーレフトを利用する側では、このライセンスのものをコピーや変更、再配布する時にはこのライセンスをそのまま適用し、それを明確に示さなければならない。

コピーレフトの定義をまとめると次のようになる。

・創造物の使用、コピー、再配布、改変を制限しない
・改変したもの(派生物)の再配布を制限しない
・改変したもの(派生物)の使用、コピー、再配布、改変を制限してはならない
・コピー、再配布の際には、その後の使用と改変に制限が無いよう、全ての情報を含める必要がある(ソフトウェアではソースコード含む)
・使用、コピー、再配布、改変のいずれにおいても、コピーまたは派生物にコピーレフトのライセンスを適用し、これを明記しなければならない


 要するに、「自由(フリー)」とすることを永遠に強制し、制限する権利の一切を奪うライセンスなのである。誰それが嫌いとか、過去に誰が(別ので)ライセンス違反したからこのソフトの利用を認めないとか、どのような理由であろうと「制限すること」を一切認めないのである*6。ライセンスをきっちりと守る限り、Orrin Hatch上院議員*7だろうがavexの松浦社長だろうが、これを制限することはできないのである。こういう厳しさがコピーレフトにはある。copyrightを右翼だと言ったが、こうなるとcopyleftはある意味極左である。
 ついでに言えばクリエイティブコモンズ(以下CC)コピーレフトに近い概念ではあるが、あるパターン(帰属-同一条件許諾または帰属-非商用-同一条件許諾)を除いてはコピーレフトではない。ただCCであっても、後続のコンテンツ利用者に対しては思想信条門地帰属属性などを理由に利用者を選択するような制限は、その思想上一切許されない筈である。あと、これらのライセンスは常に、明示的にそのライセンスを表示する義務がある。


 ではもしモナーコピーレフトや、CCに基づいていたものだったらのまネコFLASHはどうなっていただろうか。どの時点でコピーレフトになっているかは問題だが、厳密に解釈するならまずのまネコFLASHの元となるマイヤヒーFLASHが成立しない。"DRAGOSTEA DIN TEI"がコピーレフトに基づかない以上、マイヤヒーFLASHコピーレフトとすることが当然できない。いや当然だ。その辺を無視というより押し通してコピーレフトとした場合、avexがCDのエクストラトラックとしてマイヤヒーFLASHを収録する際に、まずこれの元がモナーの改変バージョンであること、これがコピーフリーであることのライセンスがCDに盛り込まれることになる。あとはわた氏が作成したFLASHのActive Scriptも収録または公開されることになるだろう。また、FLASHとしてひとつの分離不可能なコンテンツになっていることから、"DRAGOSTEA DIN TEI"自体をコピーレフトとすることでマイヤヒーFLASHそのものをコピーレフトとすることができるだろう。逆にいうと、コピーレフトに基づく場合、そうしないとマイヤヒーFLASHコピーレフトとすることはできないのである。もっとも「モナーが」コピーレフトに基づいていたとしても、音楽(DRAGOSTEA DIN TEI)と映像(モナー)はそれぞれ別の著作物であるという考えもあり、この場合音楽を除いたFLASH部分のみがコピーレフトとなるという解釈もありえる(実際問題としてはかなり無理があるが)。マイヤヒーFLASHの件で言えば、コピーレフトのライセンスに基づいてきっちりやるなら「コピーレフトに基づくモナー」のマイヤヒーFLASHavexがCDに収録することは可能ということだ。
 さらにその後、それがコピーフリーであるというライセンスをつけることにより、avexだろうがどこのレコード会社だろうが、モナーや改変バージョンを使うことができるようになるのである。この場合、CDから吸い出しての配布は自由だとしても、有料の製品にモナーを含めることは可能なわけである。ただ実際にはいろいろ問題があり、そういう形で使われる可能性は低いのだが。
 ともかく、コピーレフトやCCに基づくなら、(有償利用はともかく)後続の著作物が同じライセンスに従う限り、「誰がどのように」使おうともそれは許されなければ「ならない」のである。はっきり言って、2ちゃんねらーやあめざー的にそれはOKなの?って感じだ。いや多分OKじゃないだろう。そこには、暗黙のうちに「自分達のもの」という了解があるからだ。それと、そんな面倒な条項をモナーに背負わせることも嫌うだろう。


  • 「コミュニティが生んだ著作物」に存在する暗黙の「コピーライセンス」

 上で論じてきた通り、2chで言えばモナー*8モララー虹裏で言えばOS娘や虹裏メイド達はコピーレフトではない。これらのコミュニティ発祥のキャラクターや著作物で、プログラム以外のものでコピーレフトになっているもの、又はCCのいずれかに属するコンテンツはどれほどあるだろうか。CC宣言されているコンテンツならいくらかあるようには思うが、完全なコピーレフトが宣言されているものはごく少ないと思う。そもそもこれらのコンテンツは以前から論じている通り、多数の手によって生成されるという性質があり、これらの著作権者を著作権法が規定することができない。だとするとライセンスを規定すること自体がまず大変に困難だ。極端に言うと、基本的にはコピーライト(著作権法の保護)の範疇外であり、コピーレフトにすることすらできないのである。だからといって完全にパブリックドメインかというとそうではなく、だいたいは暗黙の著作者がいることになっている。実際詳細にルーツを追っていくと何かしら原典および最初の製作者が見つかることが多い。
 コピーライトではない、コピーレフトでもない、パブリックドメインとも言いにくい、クリエイティブコモンズのような中間ライセンスでもない。ではこれらの「コミュニティが生んだ著作物」はどのようなライセンスに基づくのだろう。


 これにはいろんな考えがある。虹裏で生まれたOS娘に関しては、現存の系列のキャラについては「最初のデザインを発表した人がその系列キャラの原著作者である」というのが一般的であり、また「虹裏や関連コミュニティ内での利用に関しては基本的に自由、ネットランナー他商用での無断利用は認めない」というのが暗黙または明示的な了解である。めどいさん達については俺様の知る限りそういうのはないと思うが、一般に虹裏発祥キャラ(元キャラが暗黙のうちに存在する派生キャラについても)については、虹裏コミュニティ内であれば基本的に自由に利用し、派生することができる。なおこの場合、「虹裏及び関連コミュニティ」の範囲はしばしば主観的であることに注意してほしい。
 2ch発祥のキャラや、2chがその初期にあめぞうなどから取り込んだAA系のキャラクターについてもほぼ考えとしては同じだろう。AAなどはもう少し適用範囲が広く、ネット内で言葉として使う分にはほぼフリー、誰もモナーのAAを個人blogで使ってるからといって咎める人はいるまい。ドワンゴのCMや電車男で「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!?」を使っていたとしても…これは文句言う人もいるか。ただドワンゴひろゆき氏の許可を取っているし、あのような形で使うのは2chに対して一定の敬意を払っているということでもある。フーン兄弟がどんなキャラか分かっていなければ、あの動画は作れないだろう。
 どっちにせよ、2ch産AAキャラのうち有名なものに関しては、ネタ元に暗黙の敬意を払っていれば個人レベルの利用はほぼフリー、商用利用でもちょっとならOKみたいなノリはあるとはいえ、一応これらには暗黙の制限はある。コミュニティ内でクローズすること、コミュニティ外で使う場合は発祥コミュニティに対し一定の敬意を払うこと、だいたいこの2点であろう。
 有名でないキャラの場合についてはちょっと別のように思う。あるコミュニティ発祥であることがまだ一般に知られていないネットキャラなどの場合は、その持ち出しが暗黙のうちに制限されるか、又は持ち出す際に発祥を書かなければちょっとマズい結果になるんじゃなかろうかと思う。例えば2ch発祥の新しいAAキャラをどこかのblogが2ch発祥であることを明示せずに引用し、それが有名blogに紹介されて2ch発祥が知られないままAAキャラだけが蔓延したというシナリオを想定しよう。その「どこかのblog」が炎上する可能性は高いんじゃないだろうか。
 この場合言えるのは、そのキャラクターの発祥が認知されている範囲、又はそれを拡大するための手段として持ち出すことは許され、非認知の範囲に非認知のまま持ち出されることは暗に制限されるということだと思う。つまりは、「そのキャラクターはナニガシのコミュニティのものである」と主張できる範囲で持ち出すことができるのではないかと思うのである。


 これが虹裏発祥のキャラの場合はもうすこし厳しい暗黙の了解がある。基本的には勝手に広く認知されるまでは、虹裏や関連コミュニティと関係ないところへ持ち出すことに対して、暗黙のうちに制限が課せられる。「」が自分のblogにそのキャラを貼るのは良い。保管庫に保存するのも良い。だが保管庫などは、虹裏コミュニティとして閉じたサイトからのリンクしか認めず、大手blogからのリンクを認めないものも多数ある。リンクを厳しく制限しているサイトもある。つまりは、虹裏コミュニティ外に不必要に広がらないよう、暗黙のコントロールがなされていることになる。これを含め全体として虹裏コミュニティは外に対して閉じた側面があり、それが暗に嫌われている面もある。
 ただこれには理由がある。新たな住民、特に空気の読めない人たちがそのコンテンツ目的に虹裏流入するのを嫌うのがその最大の理由である。確かに、自分達のコンテンツを他に持ち出されたくないという感情的な理由はあるだろう。しかしそれ以上に空気の読めない厨房の流入を望まないという実質的な理由の方が実は大きいのではないかと思う。
 当時のとしあき、現在の「」がそのように閉鎖的なコミュニティとしているのには、悲しき歴史的な事情がある。そもそもOS娘とは?でもちょっと触れているが、虹裏キャラとして最初の大規模なものであるOS娘、その最初であるMeが生まれたとされるのが2003年8月だ。当時「としあき」は、ネットランナーという悪名高い雑誌と戦っていた。正しくは、ネットランナーが画像ダウンロードツールであるBerryというのを虹裏で利用する方法を大々的に紹介したことが発端だ。これにより画像ダウンロード目的の厨房(通称Berry厨)が押し寄せ、サーバに大変な負荷をかけた。これによりimg鯖は何度もダウンし、バグを起こし、表示は極端に遅くなった。俺様が虹裏に流れ着いてコラ職人としての活動をはじめたのもそのちょっと前ぐらいだった。このために当時のとしあきネットランナーとBerry、そしてBerry厨を徹底的に嫌うことになる。今でも虹裏コミュニティ系のサイトに行けば、禁ネットランナーが貼られているのをよく見かけるだろう。俺様も俺様かく語りき(このブログは)で「ただし、ネットランナー及び俺様が嫌いないくつかの雑誌やマスコミについては断るのでご容赦頂きたい。」と書いている通り、ネットランナーは大っ嫌いなのである。虹裏の件もあるが、それ以外にそもそも雑誌のあり方が大嫌いである。あんな厨雑誌永遠にこの世から消えて無くなれ、深夜零時の地獄通信に「ネットランナー」と書いてやろうかと思うぐらい嫌い*9である。俺様の中でのネットランナーヒエラルキーspam並である。
 …さておき。
 だがネットランナーの横暴はそれだけでは済まされなかった。ネットランナーのオマケとしてつけたトレーディング?カードで、こともあろうに虹裏発祥であったOS娘のうちMeを、2ch発祥だとした上で無断利用したのである。2chとすることで、虹裏サイドから直接非難を浴びるのを避けようとしたのかもしれない。が、当のとしあきにしてみれば自分達のコミュニティのキャラをしかも2ch発祥だと言われ、しかも自分達の最も嫌っている雑誌に発表されてしまったのである。馬鹿にするにも程があるというものである。それ以来ネットランナーは永遠に虹裏の敵と認定された。本来虹裏では絵師の正体には触れず詮索せず、絵師は名乗らず、の暗黙の了解があった。しかし緊急避難として、この時は最初のMeのデザインを描いた絵師がMeあきとして名乗り出て、Me及び「とらぶる・うぃんどうず」については虹裏コミュニティ内での利用はOKだがネットランナー、その他虹裏に無関係のコミュニティで利用を制限するようなルールが出来た。その後「ネタ具現化委員会」のフィギュア商品化などがあり、最初のデザインを発表した人をとりあえずの原著作者とすること、虹裏コミュニティ内での利用にとりあえず制限され、それ以上は最低限原著作者の許可が必要という暗黙の了解が生まれた。
 このネットランナーの件は、コミュニティから生まれたコンテンツに対し、その発祥コミュニティに対して敬意を払うどころか仇で返し、発祥コミュニティに大きな被害を与えて大きな問題になった典型例である。
 その後OSたんFLASHが生まれた際、大手blogなどに紹介されあっというまに広まり、OS娘というコンテンツ目的で大量の空気の読めない人間が流入することになった。これにより板の治安は一時的に悪化することになる。このような事件を得て、大手blogへの掲載禁止というローカルルールができることになる。(こちらは適用されてない例も多い)
 虹裏2chと異なるのは、2chがスレッド式の掲示板としての体裁を保ちある程度スレッドが持つ(ニュー速などの実況スレなどでごく一部の例外はあるが)のに対し、虹裏は大変に流れが速く、住民が「常駐」していることにある。前も書いたが、掲示板としてよりはチャットとしての性質が強い。リアルタイム性が高いだけに、こういう場所に空気の読めない人間が多く入ってくると板は荒れやすい。こういう空気は、としあきが信条とする「エンジョイ&エキサイティング」の雰囲気を壊し芽を摘んでしまうことから好まれない。それが長時間続けば、「エンジョイ&エキサイティング」な場ではなくなってしまう。だから「空気の読めない子」が多く流入することをとしあき(「」)は大変に嫌うのである。
 ちょっと話がそれたまま長くなったが、とにかく虹裏やその他ふたば発祥のコンテンツについては、ある程度閉じたコミュニティの中での利用は自由、個人としてはコミュニティに属している人間であればOK、それ以外の個人的利用は発祥と敬意を明確にしろ、個人的でも大手blogなど集客力のあるコンテンツでの利用不可、商用利用はコミュニティの許可が必要(実質的にはかなり難しい)、というのが暗黙の了解だと思う。


 2ch発祥、ふたば発祥のコンテンツについてある程度共通しているのは、その利用を「コンテンツに関わる名誉をコントロール可能な範囲のみに絞っている」ということではないかと思う。こと「コミュニティが生んだ著作物(コンテンツ)」に関してはほとんどが暗黙のうちに共有可能である。そのコンテンツが良いものであれば、ある程度は自然に広がっていく。「そのコンテンツは自分達の生んだものであり、自分達の手の中にある」という範囲で共有されていくべき、そこから逸脱するなというのが、多分「暗黙のライセンス」の正体ではないかと思う。ふたば系の場合はそれにさらに暗黙のコントロールが付随し、できるだけコミュニティ内のみでの使用を心がけるよう、発祥コミュニティを理解している人間のみにその範囲を限るという考えがあるのだろう。


 こういう性質を考えても、ネットキャラ、「コミュニティが生んだ著作物(コンテンツ)」についてはコピーレフトと考えることは難しいように思う。暗黙のうちに、ある程度主観的に定められた範囲のみに利用が制限され、その後徐々にその範囲が広がっていくというのが実情なのではないだろうか。これはパブリックドメインでもなければコピーレフトでも、クリエイティブコモンズでもない。暗黙のライセンスとでも言う他ないものだと俺様は思うのである。


 上記のような性質を考えるならば、結局のところモナーなどといった「コミュニティが生んだ著作物(コンテンツ)」を支配するのは、明示的なライセンスではなく、感情的かつ主観に基づく、漠然としたものによるのだろう。結局これは、これまで言ってきたように宗教的著作物やフォークロアというような、ある程度限られた範囲の人たちだけが暗黙のうちに利用を許されるコンテンツなのではないかと思う。その発祥、成立、暗黙性、感情的な側面をみても、そういうものが多分一番近いだろう。


 今日の最初にITmediaのリンクを挙げているが、特集として次のようにまとめている。前述のニャー速の話も、ここから辿って見つけたものだ。


ITmedia CGMは誰のもの? ニュースで見るコンテンツビジネスの現在


 主にこれは著作権や、実際の事件のみに焦点をあてて語られている。だが、こういう感情的な側面、それを著作権法が保護しえないという側面も忘れるべきではない、俺様はそう考えるのである。

*1:play on: スペースアルク訳でこの場合「つけこむ」など

*2:これは著作権関連の国際条約と、それぞれの国の著作権法に基づく。

*3:本来copyrightという言葉のrightは「正当性」とか「当然の権利」という意味である。またrightsだと「権利」という訳になる

*4:ageのスクリプトシステムであるrUGPで、LGPL準拠のmpg123(http://www.mpg123.de/)のソースコードを流用していたということらしい

*5:現在は公開されている

*6:ただし、確かGPLにはGPL違反の際の例外があったように思う

*7:アメリカの上院議員なのだが、殊更に(大企業の)著作権を擁護し、フェアユースを制限しようという法律を作りたがるので、FSFとかこういうコピーレフト支持者に嫌われている。フリーソフト著作権論議などでもこの人の名前はよく出てくる。

*8:繰り返し言うがモナーあめぞう発祥(ry

*9:かといってそんな「下らない」もののために地獄に行くのは願い下げというあたりチキンな俺様である。

「漏れのカキコは誰のモノ?」

 さて、例によってITmediaへのリンクである。
2ちゃんネタは誰のもの? スレ紹介ブログの閉鎖相次ぐ
 最近俺様は2chというと同人板の一部のスレしか見ていないわけで、この辺俺様も記事になるまでは噂話程度でしか聞いていなかったのだが、要はニャー速の話らしい*1。 あまり詳細を追わずに今日のネタを書いているが、「オタ女・ニャー速、blog連合閉鎖祭りまとめサイト」(以下「ニャー速まとめ」)の記事を見ている限りでは、どうもニャー速管理人の個人情報が書き込まれたことを発端としてVIPPER諸氏を中心とした勢力からニャー速、関連サイトに絨毯爆撃*2を行い一面炎上、ニャー速を中心としていくつかのサイトが閉鎖したらしい。ただニャー速は消えたが、まだ彼ら(VIPPERを中心とした反ニャー速勢力)の「戦争」はまだ終わっていないようだ。よーやるよとは思わんでもないが、仕方ないなと思うのもまた事実だ。


 まず一つ先に彼ら(反ニャー速勢力)に批判をしておくと、これはある種のサイバーテロ違いますか、某宗教の過激派勢力が「聖戦だ!」というのとあんまり変わりませんで?ということだ。以前ののまネコ問題の記事のなかで話が長くなるので書かなかった中に「2chの宗教論」みたいなのがあったのだ。要は某政党に関連した宗教団体と2ちゃんねらー過激派を並べて、思想的に似たようなもんと違う?という話を書いていたことも関係する。もちろん2ちゃんねらー諸氏の多くは「某政党に関連した宗教団体」を割と嫌っているのだと思うが(俺様も大嫌いだ)それでも、である。これは俺様が2ちゃんねらー過激派諸氏の行動について批判的なのもあるが、ある種の集団が宗教団体と似たような性質を持つ傾向があるという話でもあった。ただ長くなるので、これにはもう言及しない。要は絨毯爆撃は「聖戦」と思想的に似たようなもんじゃないのか?それをちったぁ考えてみて欲しい、と俺様は問うのである。
 ただこれはあくまで俺様の2chに対する常の批判であるだけで、こっちは大きな問題じゃない。大きいのは、ニャー速のあり方の何が問題となったかということである。


 上でリンクしているが、「ニャー速まとめ」をざっと見た限りで一番問題になっているのは、2chのスレを元ネタにしたblogで積極的なアフィリエイト稼ぎを行っただけでなく、あまり正当でない方法でアクセス数稼ぎを行い、さらにアフィリエイト目的での祭りを起こした疑惑まで発生している点である。もちろんこれは「ニャー速まとめ」つまり反ニャー速勢力による一方的なまとめを参考にしているわけでニャー速サイドの意見は考慮に入れていない。しかもざっとしか読んでいない。表面的な部分にしか触れておらず、かつ公平ではないことを留意いただきたい。
 ニャー速まとめを見てみると内情は結構複雑のようだ。最初からかある時期からかは不明だが、アフェリエイトやその他の手段で稼げることが分かってから、金儲け目的の会社が関与していたとの話も出ている。ともかく反ニャー速勢力諸氏の調査を根拠にするなら、ある程度組織化されたブロガー集団によってアフィリエイト目的の比較的アクセス数の多いサイトがいくつも作られていたということのようだ。


 これに関しては当然俺様批判的なわけだ。不特定多数によって作られたもので一方的に儲けようとすれば、元のコミュニティの住人には生理的な不愉快感が発生する。2chから無断(無断にしかなりえない訳だが)でネタを借りて儲けは自分の懐に入れているとなれば、そりゃ怒るわけだ。この後ジャイアニズムとかについて再度論じるが、そうでなくても愉快でないのは間違いない。当然批判も発生するわけで、説明を求める2ちゃんねらー勢力も現われるだろう。だのにネタを借用しているにも関わらず*3ネタ元の2ch特にニュー速やVIP、そこの住人である2ちゃんねらー特にVIPPERに敬意を見せず、我が実力であるように言えば当然不愉快極まりないという状況になろう。さらにわざわざアフィリエイトを煽るような祭りをこっそり起こしたとなれば、これは2ch住人をダシにして儲けようというわけで、ダシにされた側は当然怒るわけである。前にコメントでこう書いたが、

 「独占」ということについては今思いついたが、難しく考えるまでもなく「共有OK」という2chの暗黙の掟を破ったから、「抜け忍生かすべからず」で叩かれていると考えるのが一番手っ取り早い。実際その理屈で、「わた」氏が刺されてるわけで。
 それが組織によるリンチであることを指摘するのが Dryad氏、組織の掟を破ったことを批判しているのが jo_30氏、どちらもそれなりの言い分はあると思う。これに対して俺様は、組織の掟を破ったのはAVEXだから刺されても仕方ない、ただこれリンチなんだよなぁ、分かっちゃいるが俺様も組織の人間だからなぁ、と言うのだ。

 この理屈で言うなら、ニャー速は組織の中で他人を扇動してある店で集中的に商品を買わせ、こっそりリベートを受け取るようなもんである。もっと言えば、組織を扇動して賄賂を受け取ったようなもんである。扇動された側は(例えその商品を買ってなかったとしても)そりゃ不愉快極まりあるまい。上記の組織とは忍者やマフィアのような秘密組織を想定しているわけだ。この場合、上で引用した「抜け忍」という「組織の中での個人的忌避のための裏切り」ではなく、「複数による積極的な裏切り、又は独占行為」とみなされるだろう。忍者やマフィア、過激派の世界で掟は絶対、さらに多くの人間に対する裏切りともあればかなりの重罪だ。なれば絨毯爆撃という報復は起こっても致し方ねぇだろそれは、と思うわけである。言い方は悪い、確かに俺様も2ch住人でありながら2ちゃんねらー過激派、VIPPER過激派の集団としてのあり方、また2ちゃんねらーによく見られる発言無責任性には批判的だ。だがこの件に関しては、俺様はニャー速に対して同情の余地はないと考える。2ちゃんねらーがネタ元に敬意を払わない集団だったとしよう。虹裏やふたばを含めそうであることも、「漏前のモノは俺のモノ」的な性格があることも全く否定しない。だがそれでも、2chをネタ元としてそれに敬意を払わないことは全くの別問題、大きな問題だろう。常に敬意は個別に論議されるべき問題だ。そもそもニャー速が何か敬意を払われるようなコンテンツを2chに提供しているかといえばそんなことはないだろう。あるスレを編集することは2chからコンテンツを借りることにはなっても、当然貸したことにはならない。それで我が実力などというのは大問題だ。
 これは以前からOS娘の問題などで言っている問題と根が同じ、というよりはなお悪いパターンだと思う。儲けを目的としてあるコミュニティの不特定多数によるコンテンツを借りた上に、そのコミュニティの住人を非難するような態度を取ることは、そのコミュニティの怒りを買うだけだ。この件は俺様が見る限り、意図的にそれを悪い方向で行っている。その結果は多数のVIPPERによる絨毯爆撃と焼け野原だ。いや別にアフィリエイトが悪いともコピペブログが悪いとも思わない。だが、無断借用するならするでそれなりの敬意を払えよ、2chに恩を仇で返すなら、仇は100倍になって帰ってくるぜ?と俺様は言うのである。まぁ俺様も言いたいこと言い放ってる以上、あまり人の事は言えんのだが。


 ここでもうひとつ、どちらか言うと反ニャー速勢力諸氏に対する批判というよりは、全体的な意見として述べておくことがある。ニャー速事件でいえることは、2chだとか同種のコミュニティに関連したこういうビジネスモデルも成り立ちうるということである。ITmediaではCGM(Consumer Generated Media、消費者創生メディアとでも訳そうか?)と呼んでいるが、こういうものをコミュニティから借用して人を集め、そこから利益を発生させる。時には2ちゃんねらーという大集団を扇動して意図的に消費行動を起こさせようということまで起こりうるわけだ。あまり愉快ではないそのようなビジネスモデルが、成立しうるということである。
 ハピマテの時も俺様は何かのマーケティングが絡んでいるような気がしてあまり愉快ではなかった。あれは真相はどうだったのか分からないが、涼宮ハルヒブームを意図的に起こそうとしたのであれば、それはハピマテの際の成功を見てそれを思いついたのだろう。人が多く話題が一気に広がりやすいという性質上、今後もそのような扇動的なマーケティングが行われうる可能性はあるだろう。
 コピペブログを批判的な目で見ろってんじゃない。だから何ができるというものでもない。が、そういうことも少しは考えてよいのではないか、その広告リンクをクリックする前に、あなたは何かに乗せられてないかと考えても良いのではない?と思うわけである。
 それと、もし今後そういう扇動的なマーケティングアフィリエイト扇動を目論むならちょっと考えた方がいい。既にニャー速の例がある。涼宮ハルヒブームの疑惑が事実であるにしろないにしろ、今後常に「あるモノを買おう」祭りには何かしら裏を疑われることになる。俺様はこういう時に2ちゃんねらーを絶対に甘く見てはいけないと考えている。やるならよほど上手にやらなければ、遅かれ早かれ見抜かれて裏を取られて晒されるだろう。それを元に絨毯爆撃になる可能性も高い。利益以上の損害(風評被害)を蒙る可能性だってある。その辺、2ちゃんねらーという集団の性質をよく考えた方がいいと俺様は思う。下手すりゃ罪がないはずのその作品が「アフィリ厨の(プ」という、嫌ゲな看板を背負うことになるのである。

*1:現在はITmediaの記事上でリンクがないが、最初はニャー速問題まとめサイトへのリンクがあった。

*2:大勢力で特定サイトに書き込みを大量投下することを俺様的にこう表現する。当然爆撃を受けた後は広範囲に「炎上」し、焼け野原となるわけで。

*3:もちろん付随した意見で読ませるということや、よほど上手に編集してあるならば、ブロガーのオリジナリティを主張できるだろう。ただどうもニャー速まとめを見る限りでは基本的にコピペブログであるらしい。俺様の知る限り2ch系のブログはほとんどがコピペ編集であり、ブロガー本人の意見で読ませるようなものは見たことがない。だいたい2ch系のblogってそもそもそういうモンだろう。

放置にも程がありすぎる

 以前そんなタイトルで書いた記憶があるのだが、まぁともかく半年以上も放置たぁ俺様ながら程があるというものだ。いや半年ばかりつきっきりで大仕事をしていて*1それどころでなかったというのがその理由だが、言い訳にしかならん。いやアレだ、言い訳なんぞ恥ずかしいだけだからもう止めとく。
 当然のまネコ問題も風化しきっており、今日の話も「のまネコ問題について〜」となってはいるが、あくまで前の話の続きだからというだけで、のまネコ問題との直接の関係はもはやほとんどない。


 ただ以前の話の続きの前に、ちょっとだけ触れておこうという問題がある。いやちょっとのつもりでだいぶ長くなってしまったわけだが。

*1:生業ではなく、同人関係でだが

生業多忙につき

 のまネコ問題について続きを書こうと思っていたが、いかんせん急に仕事が忙しくなり、同人関連の方も忙しくなってきたために全くこちらを書き進めることができない状態だ。何しろ整理し考えをまとめるのが大変であり、書くのに時間がかかるのだ。
 この問題は他のネットキャラに関してや、2ちゃんねらーのあり方について重要な示唆を与えた問題だっただけに、もう少し詳しく取り上げたいというのが本音だが、このままだとおそらく年を越すことになろう。
 ただ、コピーライトとコピーレフト潜在的コミュニティコントロールドコピーの問題など、OS娘問題と絡む重要な問題もある。もうのまネコ問題は風化しているであろうが、俺様なりの観点からまたこの問題には触れると思う。既にブログとしての意味ははなからないようなものだが、それは当初からの仕様でもあり、致し方ないことと考えている。


 あと、OS娘問題も忘れたわけではない。のまネコ問題もOS娘問題も、残るはあと1回か長くて2回だ。既に事件として風化しようと、問題として主張し、記録として残しておく意義はあると思う。
 しばらくは更新されないと思うが、思い出したときに読んで頂ければ幸いである。

「漏前のモナーは俺のモナー」?

  • 火災〜それは一方的に起こるもの

 「漏れはVIPPER、拉致対象(ほげ〜)」とか書くと頃されそうだが。いや単にジャイアニズムという言葉から連想して語呂が良かったから書いただけで他意はない。
 で、これを書いている最中にちょうどDryad氏がコメントをくれていた。こちらのblogの方が意見が分かりやすかったので、少し引用させてもらおうと思う。


24-Hour Survival 2005/10/08 [ネット] 2chと帰属意識 (Dryad氏)より

問題は、2chコミュニティ側にそれを主張する資格がどれだけあるのか、という点にある。id:Dryad:20051003#p1の「モナーは『誰のもの』か?」でも述べたが、2ch文化とは、2ch外の著作物を徹底的にパクり、それらをミックスしたものを表現することで成立してきた文化である。即ち、その良し悪しは別として、本来、「帰属」や「リスペクト」といったものと最も縁の薄い立ち位置にあると考えられる。

ひたすらメシを食いながらダイエットする日記 2005/10/10 「のまネコ騒動(5) jo_30さんに対する反応」より

 私は、「2ちゃんねらーに批判する資格はない」と思っています。公式サイトの掲示板では「黒FLASHやマンガAAのような明らかな著作権侵害を容認しておきながら、 のまネコ程度のパクリで著作権がどうのと騒ぎ出すダブルスタンダードっぷり」に腹を立てている、ということを書いています。


 いや、確かにそうなんだ、そう言いたいのはよく分かる。俺様も実のところ虹裏の職人なわけで、そうである時点で著作権的には後ろ暗いところがあるのは言うまでもない。それはどの種の職人かを明示できない時点で察してくれ、って感じである。それをして著作権云々と言っているのだから呆れたものだ。ただ黒に近い灰色の世界から著作権というレンズを通して見るからこそ、分かること・説明できることもあるのだが。
 特に著作権論議に関しては、2ちゃんねらーサイドに著作権を盾に論議を進めようとする人は多いようなのだが、ただこれの法的根拠がどの程度かというのは、俺様が先に言ったとおり薄いと考えている。実際、俺様論議の根拠として「著作権」はあまり宜しくないと考えている。


 ただ俺様が問題にしたいのは、そういうことではない。確かに2chコミュニティ側にその資格があるかどうかという論議はできるのだが、実際のところ俺様らがいくら論議したところで、そんなものは「関係ない」のである。俺様らがいくら資格について論じても、2chに火が点くときは火が点き、燃え上がる時は燃え上がり、そして時に大火災になる。
 これの性質の悪い面は、確かに煽るということは可能なのだが、基本的には制御不可能という点だ。2ちゃんねらーだとか、VIPPERかと呼ばれる漠然とした集団、その実体は不特定多数の個々人だ。ただ漠然としたベクトルを持った多数の個人が、それぞれの判断・イデオロギーで個別に動いているわけだ。その矛先がひとたびある方向を向いてしまえば、しばらくはその矛先をそらすことは難しい。中心となる母体がないからだ。
 しかもそれが、短時間のうちに数千人、数万人に達してしまう。その規模すら制御不可能なのだ。数千・数万の母体無き漠然とした批判集団。こんなものが、ある巨大コミュニティの感情を害することで理屈抜きに形成されてしまう。それはインターネットの即時性、巨大匿名掲示板の巨大さ、匿名性ゆえにはじめて可能になったことだ。


 それと以前も問題にしているが、「面白半分のAVEX叩きの側面」ということもある。これら匿名掲示板によるの集団での叩きには、学校のいじめと同じく常に多かれ少なかれ「面白半分」の側面があると考える。相手から見える場所では弱いものを標的にするが、相手から見えない場所であれば大きいもの、強いもの程燃えるのが叩きというものだ。本来なら自分よりはるかに強いものをなんとか屈服させる、それが叩きのひとつの醍醐味だろう。実際、俺様にもそういう側面が全くないとは言わない。
 AVEX相手にここまで大騒ぎになったのも、ひとつにAVEXが巨大であり、それを叩くためのお墨付き(彼らが主張する、だが)が得られたからここぞとばかりにやっている、という側面もあるのではないかと思う。
 でもって、一方的に批判したい人たちが自分の都合の悪い面を敢えて無視する、殊更に棚上げする傾向があるのは説明するまでもないことで…。例えばこんな有名な話とか。


osakana.factory osakana日記 2005/10/07 「のまネコ問題で考える二次創作の創造性」より

企業側には、何が2chに叩かれるものであるかを認識できるだけの、リテラシーが全くないんだ。
(中略)
AVEX側の対応が遅れた理由は、当初2ch側の主張を全く理解出来なかったからだと思う。それほどに、2ch側の倫理と、商業中心に考えている人たちのそれとは、すれ違っている。

24-Hour Survival 2005/10/10 [ネット] 「2ちゃんねら」とは誰かより

ただ、一方で2chコミュニティに帰属意識を抱く(一部の)2ちゃんねら、あるいは言い換えるなら「2ちゃんねる主義者(2channelist)」*1とでも呼ぶべき人々が相当数存在し、今回の反対運動の中心にいるのは、おそらくはそういった人々なのではないか、ということだ。

 俺様は「のまネコ」vs「のまタコ」VIPPERの場合…?で「日本最大のサイバーテロ集団」という表現を挙げたが、これにはその時挙げた以外にもいくつかの意味がある。みしきさかな氏が言ってることだが、すれ違っているというか根本的に相容れない。テロ組織というものは、ある独特の主義に基づき反社会的行動を起こすものを指す。でもってその主義というのは一般社会の人間には普通あまり理解できない。2chから起こされる批判行動は言論手段で別にテロ行為という訳ではないが*2、企業の側からするとよく分からない主義主張を元に攻撃(批判行動)を仕掛けてくるわけで、そういう面ではテロ組織とあまり変わらない。もっとも、そもそも攻撃とは言え言論手段に頼る限り、それは別に違法行為でも法律上のテロでもない。田代砲や殺人予告に関しても、これまた打った個人個人と扇動した個人の責任を追及するのが本来、あるいはとばっちりを受けた管理人ひろゆき氏が訴えられるかである。集団としての「2ちゃんねらー」に責任を取らせることはできないのである。


 とまぁ、現にそういう集団が現存し、常にそういう爆弾を抱えているのである。企業にしてみればどういった理由で爆発するかが分からない爆弾を、だ。ただしかし、じゃぁそんなものが存在する責任は誰が取るべき?という問題はちょっと考えてみる必要がある。2ch、巨大匿名掲示板というコミュニティは、確かにひろゆき氏という管理人はいるが、日本社会の中で半ば自然に発生し成長したものだと思うのだ。ある意味日本社会でのみ生まれる、日本特有のものだと俺様は思っている。「あなた方*3がオタクとかいう言葉でひとくくりにするのと同じ、日本社会が生んだサブカル集団ですよ、ええ、にちゃんねらーというものは、ええそうです日本が生んだ誇るべき。その数実に300万、ネット上では声の大きい集団であることはご理解頂いてますよね?」と自嘲気味に言うのだ。
 要するにネット上の自然発生集団であって、今更抹殺も無視もできない以上、企業としては地雷を踏まない努力、共存していく努力をちょっとはしてもいいのではないか、リスクとしてカウントするべきではないかと思うのである。


 それと、Dryad氏がしている「2ちゃんねる主義者」という表現とか、「帰属意識」に関する言及だとか、jo_30氏や(ぱ)氏がする「フォークロア」という表現などを読んでいて思ったが、モナーなどのAAキャラは確かに「フォークロア」と言えるものだととも思った。さらには、その「フォークロア」を生む、集団としての「2ちゃんねらー」だが、不思議なことに集団としての民族意識のようなものが垣間見えることがある。コミュニティ内だけで通じる独自の言語を持ち、帰属意識・同朋意識、イデオロギー、文化を持ち、そしてある種の結束性と排他性を持つ。もちろんこれがあるからといって「民族」の定義にあてはまるものではないのだが、彼らの領分を侵したときの感情的な反応は、民族のそれを侵した場合のものとよく似ているように思う。民族の場合、その噴出の形のひとつとして「テロリズム」があるわけだ。それが往々にして、集団の感情的なものや生理的なものに根ざすことは、民族の対立というものを見れば分かると思う。民族の発生にいくら論理や理屈をあてはめようとも、そんなことに関係なく民族は発生し、発展し、そこに存在する。これは誰にも制御できない。2chなどの巨大匿名掲示板というコミュニティは、民族という巨大なコミュニティのミニチュア的な性質があるのかもしれない。
 2chなどがおもしろいのは、各々個人が持っている「コミュニティに属するものの性質」を簡単に着脱できるということだ。自分の都合と気分に応じて、2ちゃんねらーという性質を都合よく発揮したり隠したりできる。自分の気分が向かなければ、その時は2ちゃんねらーでなければ良い。時には他のコミュニティ、あめぞうだったりぁゃιぃだったり、ふたば住民だったり、そのコミュニティでの立場を発揮したりもする。そういったいい加減さも、巨大匿名掲示板の性質なのかもしれない。


  • 「それでもモナー2chのものなんです!」他の事は棚上げして!

 2ちゃんねらーVIPPER諸氏がモナー2chオリジナリティを主張し、AVEXの「のまネコ」がパクリであることを批判することについては、俺様なりに次の意見がある。
24-Hour Survival 2005/10/08 [ネット] 2chと帰属意識より

普通に考えれば、他者の著作物を参照してパクる一方で、他者から参照されパクられる事にのみ抗議を展開するのは、正しくジャイアニズム*4であり、ダブルスタンダードと言うほかない。以前と同じ結論になるが、やはり、2ちゃんねら*5にはコミュニティ外部の世界が見えていない(興味がない)としか思えない。

 いや虹裏などその最たるものでだな…というのはある。実際納得できない人も多かろう。(ぱ)氏にせよDryad氏にせよ、理解してくれとは到底、俺様はいえない。


 ただ実際問題としては、もし仮にAVEX側が「2ちゃんねらーはこれまで多くのものをパクってきたではないか、それをして我々がパクることを批判するのか」という論を挙げることは絶対にヤバい。ヤバいという意味で、企業側が絶対にしてはいけないことだ。確かにその意見は正当ではあるのだが、万一にもこれを言ったら絶対今までどころでない騒ぎになってしまう。mixiで松浦氏が退会の時にした発言に関しても方々で批判されているのも、ひとつにあの発言からそのような意図を拡大解釈して批判しているのではないかと思う。
 一般的に、個人やコミュニティの持つ著作物やコンテンツを、大企業や商業出版媒体が無断で借用することは許されない。それは理解できると思う。おかしいのは、例えその個人やコミュニティが大企業や商業出版媒体からコンテンツを借用しまくっていたとしても、その個人やコミュニティが作ったオリジナルのものを、大企業や商業出版媒体が無断で借用することは、やはり許されないという傾向がある。果ては同人誌など商業出版媒体のコンテンツを借用しまくったものであったとしても、商業出版社はそれを訴えることはできても、無断借用返しはやはり許されないのである。
 極端な例を挙げれば、例えば「テ○○の王○様」という商業媒体の漫画があり、その同人誌で「ペ○○の王○様」というものがあったとする。その同人誌が大変よくできた話で、「テ○○の王○様」の作者がその同人誌のお話を「パクリスペクト」し返したとする。この場合、同意があれば殆ど問題にならないのだが(外野は別としても)、無断でやると多分これは大変問題になるのである。*6
 ついでに、同人誌などはキャラクターなどは無論原作となる商業媒体から借りているのだが、ストーリーを丸まま真似たり、原作をトレスしたものを掲載すればこれまた問題になるといった変な線引きがある。いや、場合によっては俺様にすら理解できない線引きすら時々存在する。
 とにかく、この場合「パクった、パクられた」というのは作品個別に論じられるもので、他である作品の要素をパクりまくっているからといって、別の作品にパクられたという論議は全く別に行われる。「お前らだってパクってんのに!」という論議はだいたい可能なのだが、ただ実際はこれはご法度とされる。するとそれだけで叩かれる。これは同人誌をやっているものには暗黙の了解なのだが、コミュニティ外の人から見れば全く理屈の通らない話であろう。


 そしてこれが、企業←個人やコミュニティ、この間はもっとシビアだ。個人やコミュニティ間のコンテンツのやり取りには、パクったリスペクトされた参考にしたといっても、仲間内のことで基本的には金銭のやりとりは発生しない。同人誌などメディアが伴う場合でも、多くて数千円だ。実を言えば個人間で1000円のやり取りでも2000回行われれば200万円、その割には元コンテンツの権利を持つ筈の企業側には1銭も入ってこないのだが、それでもである。ところが企業が個人やコミュニティのコンテンツを無断借用すると、企業側にはかなり大きな利益が発生することになる。例え法の上では企業側に権利があったとしても、感情的には許されない。いや正確には、許さない人が殆どだ。
 ピラミッドの上から下へは無断で行くのに、下から上へは同意が必要になる。この対等でないパクリスペクトの関係は確かに理屈は通らないのだが、ただ慣習として著述や漫画などの世界には存在する。


 2chに関してはどうかというと、これはもっとひどい。はてなキーワードの「2ちゃんねる」の項を見ると、もともとあめぞうの流れを汲む掲示板なのだが、その発端はパクりだという。あめぞう自体が、「あめぞうリンク」というアングラリンクを発端にしているという。もともとアングラ系掲示板であって、面白いものがあればどのようなコンテンツにせよコピーし共有するのは正義である、みたいなところはあったと思う。また、論文などと同じく多く引用されるのはコミュニティの仲間に認められるということであり、名誉なことでもある。それゆえに面白い発言やAAなどはあっという間にコピペされ、瞬く間に広がっていく。jo_30氏はこころはどこにゆくのか? 2005/09/08 [のまネコ]MUZOからの公式コメントで次のように言っている。

「みんなで共有しましょう」という2ちゃんねらーの『美しきプライド』

 これは、ひとつにそういう側面が発展したものだと思われる。jo_30氏はこれをモナーについて言っているのだが、実のところ著作権からみてグレーなコンテンツであろうが2ch外の発言であろうが、マイヤヒーのような黒フラであろうがその他パクりコンテンツであろうが、とにかく面白ければ何でも共有してしまうのである。ひとつにそれがプライドであることは分かるのだが、全体を見ると随分黒いものも共有していませんかとは確かに思う。
 黒フラをDLすることと、著作権のあるmp3などをnyなどでP2P共有することは同義的にも著作権的にもあまり変わらない行為だ。実際それを理解している人も多いのだが、何故か罪の意識は薄かったりするのである。
 片方でそんなことをしておきながら、いざモナーAVEXにパクられたとあれば殊更に文句を言う。これをせめて正当化する根拠はたったひとつ、「それはそれ、これはこれ。別々の問題です。」というだけである。一応これは著作権法上でも正しい根拠で、法的には確かに別々のオリジナリティが主張できるコンテンツ同士であれば、それぞれの著作権上の問題は全く別である。さらには、(法的に見た)批判の権利はそれぞれ個別に存在するわけで、法がそれを規制する訳ではない。倫理や道義的にどうかという点は別にしても。
 ただ、それ以外で正当化できる根拠があるかというと…いろいろ考えてみたのだが、どれもどこかで無理が生じる。Dryad氏の言う「正しくジャイアニズムであり、ダブルスタンダードと言うほかない。」ということに関しては、実に全くその通りであるとしか言いようがない


 ここでさらに問題なことがある。
 俺様が書いた「のまネコ」事件雑感には、2ちゃんねらーサイドの「一方的な」申し立てに対して『そのコミュニティに対して「お借りする」という姿勢と礼儀を見せることは必要なのではないかと思う。』と、一方的な譲歩を求めている。先にあげたみしきさかな氏の意見もそうだ。
osakana.factory osakana日記 2005/10/07 「のまネコ問題で考える二次創作の創造性」より

一方AVEXは、モナーを「インスパイヤ」しちゃったけど、違法とも言えなそうなのでジャイアニズム発揮しちゃった。今叩かれているのはこのジャイアニズム精神なわけです。

 この例を挙げたのは、みしきさかな氏も俺様と似たような立ち位置にいる同人作家であって、同じように見てる(=一方的であることの考慮が皆無)からである。実際のところジャイアニズムを発揮しているのは2ちゃんねらーサイドであるとも言えるのだが、ただAVEXを批判している側にはそういう意識はない。一方的であり、ジャイアニズムであり、ダブルスタンダードであるという意識は、ほぼ全くといっていいほどないのである。かく言う俺様も理屈ではダブルスタンダードだと理解していても、やっぱり「2ちゃんねらーのものを無断借用しようとしたAVEXさん、あんさんが悪うございまっせ。え?何?2chもさんざんパクってるじゃないか、だいたいマイヤヒーFLASHが?それはそれ、これはこれ、その理屈は通りまへんで。」と一方的に言うのである。理屈ぬきに。


 理屈で考えてみれば、これまたAVEXには可哀想な話である。でも誰も同情しない。
 それがVIPクオリティ


 …ここはひどいインターネットですね。


 いや全くだ。



 最後になったが、意見をお借りしたみしきさかな氏、(ぱ)氏、Dryad氏、jo_30氏には感謝したい。また、jo_30氏のコメントを元に書こうと思っていた「ネットキャラとオープンソースクリエイティブコモンズとの関係」については、稿を改めてまた論じたい。

追記 2005/10/14
トラックバック先がうまくいっていなかったり間違えていたのを修正した。

*1:原文注釈では、『「チャネリスト」とかいう言葉が脳裏をよぎったので誰か使ってください(´・ω・`)』となっている。ちなみに俺様の友人で2ちゃんねらーを指して「チャネラー」と呼ぶ人がいる。

*2:今度の件で、スレ頭に田代砲禁止とかわざわざ書かれるということは、これまで結構田代砲を撃つ→DDoS攻撃を行ってきた、ということではあるのだが。

*3:読者を指しているのではなく、サブカル集団を漠然と批判したがってる人たちを指す。

*4:原文注釈:「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの。」

*5:原文注釈:「の一部の人」って付けても良いですけど、まぁとりあえずこれで。

*6:「テ○○の王○様」と名前のよく似た現実に存在する漫画でそのような事があったという訳では全くない。これはあくまで例えであると重々申しておく。

著作権ちょっと変なお話

 さて、二つほどまたblogの記事を挙げておく。
ひたすらメシを食いながらダイエットする日記 2005/10/10 「のまネコ騒動(5) jo_30さんに対する反応」(ぱ)氏*1
osakana.factory osakana日記 2005/10/07 「のまネコ問題で考える二次創作の創造性」 みしきさかな氏

 (ぱ)氏の意見については別観点から再度取り上げる。
 この二つを挙げた理由は、2chを中心としたAVEXに対する反対論調が「著作権」を中心としていること、それに対する批判をしているからだ。正直言うと俺様もこれには概ね同意で、2chラーやVIPPER諸氏が著作権を元に批判するのを止めようとは思わないしそれは自由だと思うが、ただ法的根拠はあんまり無いのと違いますかと思うのである。このあたり、昨日jo_30氏の発言を挙げて著作権の話を書いているが、実際このあたり非常に混同されやすいと俺様は思っている。
 で、「のまネコ」問題を著作権がどうのという話にするのはどうか、という部分はみしきさかな氏が非常に端的に書いているのでそちらを参考にしてほしい。


 と、みしきさかな氏のblogを読んでいてちと思ったのが、そういやマイヤヒーO-ZONEの「DRAGOSTEA DIN TEI」)に関していえば、日本ではないが「のまネコ」事件どころじゃないもっとやばい著作権の話があったんだよなぁ、ということを思い出した。確かにあまり関係ないのだが、その国の著作権法が認めてしまえばこんな変な事も法的にアリ(合法)なのだ、という話だ。
 ちなみにあらかじめ言っておくが、これはヨーロッパ(イタリアやフランス)の著作権法の話だ。たぶんパロディが合法的に認められているから起こったことで、日本ではこの理屈は通らない。

  • マイヤヒー」のそのまんまパクり(無許諾カヴァー)が合法??

 まずは、osakana日記 2005/10/07 「のまネコ問題で考える二次創作の創造性」の引用だ。

2003年、モルドバ出身のO-Zoneは、シングル『Dragostea Din Tei』をリリースした。しかし、まず欧州各国でヒットしたのはこの曲ではなく、Haiducii という女性シンガーを用いた無許諾カバー版であった。
(中略)
O-Zone と Haiducii 双方は、お互いをパクリだと非難しあったが、O-Zone のリリースの方が早いためオリジナルは彼らであろうと思われる。


 それとこれも。
media@francophonie 2004/07/10 「この夏の大ヒット曲はモルドヴァ生まれ」より。

ウニヴェルソの社長は「マイハヒ〜!マイハホ〜」の呪術的な力のとりこになってしまった。これはヒットになる。ちょうどいい具合に、ウニヴェルソにはイタリア・ルーマニア系の女性歌手が一人所属していた。ハイドゥッチは片言だがルーマニア語ができる。社長は彼女にルーマニア語のオリジナル・ヴァージョンを録音させることに決めた。

これが大当たりだった!発売と同時に、ハイドゥッチ版の「Dragostea din tei」は売り上げのトップに躍り出た。オリジナル版の作者はどうしたかって?彼らには反論するための法的な手段がなかった。パロディや、原曲に忠実なコピーの場合、複製者には報告の義務がないのだ。「イタリアでの成功を知って、僕はちょっと頭にきた。同じ時期に、僕らはヨーロッパ市場に参入しようとしていたからだ。そして、誰も僕らには興味を持ってくれなかった」と、オゾンのリーダー、ダン・バランは回想する。


 みしきさかな氏の言うとおりHaiducii(ハイドゥッチ)氏バージョンは無許諾だ。だが、media@francophonie の記事が示すとおり無許諾なのに合法らしいのである。つまりこの場合、「Haiducii」バージョンの「Dragostea din tei」に著作権が与えられるのである。ただし後述するが、その場合でも作詞作曲はO-ZONEのリーダー"Dan Balan"であり、この著作権は別途に発生する。
 この法的根拠が俺様にはよく分からんのだが、イタリアの著作権法には「パロディや、原曲に忠実なコピーの場合、複製者には報告の義務がない」ということを認める条文があるらしい。確かにパロディ合法はイギリスやフランスの著作権法にあるとの話は聞くのだが、まさかこんな形で使われるとは。


 これがどういう結果を引き起こしたか?詳しくはmedia@francophonieを参照してもらいたいが、イタリアでは最初このカヴァーバージョンが大ヒット、O-ZONEは殆ど知られてないのに「Dragostea din tei」は大ヒットしているという様である。パクり以前に、まんまのカヴァーバージョンが、である。AVEXを弁護するわけでは全くないが、「のまネコ」が「モナー」のパクりだというレベルの話ではない。
 無論、後にDan Balan氏は「僕はちょっと頭にきた」と言ってるが、ちょっとで済むのかオイという感じである。いや確かにDan Balan氏はちょっとかも知れないが、O-ZONEの他のメンバーはさぞかしご立腹だったのではないかと思う。下手をすれば、モルドバの皆さんもご立腹だったかもしれない。


 ちなみにこれまた変な話、これは日本でも起こり得ることなのだが、「ちょっと頭にきた」O-ZONEのリーダーDan Balan氏にはちゃんと「作詞作曲」の分のロイヤリティ(著作権料)が入るのである。
media@francophonie 2004/07/10 「この夏の大ヒット曲はモルドヴァ生まれ」より。

この話の真の勝者は誰かって?ダン・バランだ。オゾンのリーダーで、作詞作曲も手がける彼は、自分の歌の全ての別ヴァージョンから売り上げの10%のロイヤリティを得ている。これだけで、すでに100万ユーロ。これにはラジオやテレビで曲が流されるたびに支払われる著作権料は含まれていない。まさしく大当たりだ!

 この場合、O-Zoneバージョンの「Dragostea Din Tei」に関してはO-ZONEとDan Balan氏にロイヤリティが入るが、その他のバージョンにはDan Balan氏個人にしかロイヤリティが入らない。他のメンバーであるAresenie氏やRadu氏には入らないのである。O-ZONEにはメンバー間の確執の噂があるらしいのだが、本当だとすれば原因のひとつはこういう所にあるのかも知れないと思う。


 とにかくこれは日本の著作権法に準拠した話ではないので全く事情は異なる。無論、著作権を取り巻く文化もだ。そうである以上法律の話としては「のまネコ」の事件とは全く事情が異なる。ぶっちゃけ関係ない。ただ、日本人から見れば倫理的にどう見てもおかしいだろう、多分ヨーロッパでもこれは「どうよ」という話なのだと思うが、他所の国の著作権法のためにこのようなおかしな話が、それも「Dragostea Din Tei」自体にあったということも、「著作権著作権」と言う人たちにはちょっと知ってもらいたかったのである。
 それと、殊更に「著作権著作権」という方、著作権ってそんな生易しい、人情で何とかなる世界ではないですよ、想像を絶するぐらいややこしいテキストで埋められた世界ですよ、という事は少し言いたくなる。ただ、これを「著作権をよく知らずに著作権を語るな」とまでもちょっと言いづらい。それを言い出すと、多分著作権がどうのと言ってるページは殆ど消えてしまうだろう。俺様ですら怪しい。曖昧な判断で「著作権」と言っている2ちゃんねらーが悪いのではない、あまりに理解しにくい著作権法とその運用が悪いのだと、「感情の観点からは」少しは2ちゃんねらーを弁護したい。著作権法が「悪い」とはいっても、じゃぁ変えれば?と言えるものではないのだが…。

*1:プロフィールの所に名前がなかったので迷ったのだが、これで合ってるよな?