OS娘は誰のものなのか

  • いや、誰の所有物でもないが…

OS娘は誰のものなのかと問われれば、「としあきのものだろう」と答える人もいるだろうし、「誰のものでもないだろう」と答える人もいるだろう。
今の所著作権に関しては各OS描きあきが持っていることになっているが、キャラ自体の「所有者」というわけではない。多数のとしあきによってOS娘は作られたのであって、それが誰か特定の個人に帰属するわけではない。誰がどの程度貢献したかも分からないし、それを決めることもできない。勝手に生まれたもの(=誰のものでもない)という考えもあれば、虹裏という場や集団としてのとしあきが生んだもの(=虹裏コミュニティに帰属するべき)という考えもある。無論、統一見解があるわけでもない。
こういう存在である以上、作者も著作権も曖昧、不本意な利用に際しても誰が抗弁するべきなのか、誰が抗弁するための社会的な権利を持つのか、ということも曖昧にならざるを得ない。
その辺を逆手にとって、ネットランナーが確信犯的な勝手利用を行ったりするわけである。実際、それを防ぐことができなかったために、描きあきが著作権者として立つことになったわけだ。
著作権などについては後日くわしく検討するつもりなのでここでは置いておく。


それとは別に、感情的に「誰のものなのか」という考えがある。


昨日、としあき虹裏に対してどう思っているのかということについて書いた。「虹裏が特別な場所」ということについても触れた。OS娘が、経緯としてどのように生まれたかということも、これまで説明した通りだ。
これまでOS娘に関して起きた事件には、その裏にとしあきの、OS娘に対する特別な感情のようなものがあると俺様は思うのだ。「俺たち大事な虹裏キャラであるOS娘を持っていかないで欲しい、としあきをないがしろにするような人間にOS娘を使う権利はない」と。
もちろん事件の経緯には、としあきに対する直接的な暴言などがある。が、それ以外にも「自分たちのキャラクター」を持っていって欲しくないという感情も大いにあると思う。
OS娘は虹裏で生まれ、としあきの手によって育てられたもの。その経緯を見守り、としあきとして共にあり、ネタを提供し、絵にする。ネタやキャラクターとして育っていくのを見守ってきたものとしては、このOS娘があたかも自分たちとしあき全体の「娘」であるように思えるのだろう。
事実OS娘誕生の当初から見ていて、職人として関わってきた身としては、OSたんFLASHが出たときには「ああ、OS娘はここまでの存在になったのか」と思ったものだ。そこには、キャラクターとして成長したという喜びと、多くのとしあきに愛されているのだという感動と、最早自分たちの手に留まるのだろうかという少しの不安が心をよぎったものだ。当時、同じように考えたとしあきは多かったのではないだろうか。

実際に関わっていない人にはこのあたりの経緯は分かりにくいと思う。
「OS娘はとしあきの娘だ」という考え方など、気持ち悪いとすら思えるかもしれない。


ただ、しかし。
作家が生み出すキャラクターが作家にとってそうであるように、としあきが自分たちで生み、育ててきたキャラクターが特別なものであるというのは自然だと思う。
特にOS娘は、他の虹裏キャラが何か元があるのと比べ、ほぼ虹裏が1から生み出した、虹裏オリジナルの大規模なキャラクターだ。それまで虹裏でもふたば全体でもそのような例はないし、匿名の不特定多数の住人が作り上げたものとしては2chなどを見てもここまでのものは当時なかった。
そういう意味からも、OS娘という存在は、としあきの誇りとなる特別な存在だったと思う。


虹裏外の人から見れば、諸々の事件などで「誰のものでもないはずのOS娘に対して、なぜこの人たちはこうも過敏に反応するのだろうか」と見えるかも知れない。しかしその理由の一つは、このようにOS娘というものがとしあきにとって大切なもので、としあきにとって娘のようなキャラクターであると考えれば、おのずと理解できるのではないだろうか。
もちろん、「としあきたちに無礼を働くような人間」に「OS娘を持っていってもらいたくはない」というように、二つの感情を切り離して考えることはできないのだろう。これはまた後日に述べる。


  • OS娘は虹裏のものであってほしいという考え方

上記のような理由から、OS娘は虹裏コミュニティから出て欲しくない、自分たちの手の中にいて欲しいと願う考え方が出てくる。特に、ネットランナーによる無断利用、デジャブアートワークスに関わる事象以降、としあきにとって不当な利用が続いた以上、もうこれ以上大事なOS娘にこのようなことが起こって欲しくない、という考え方も出てくる。
また、OS娘が生まれる数ヶ月ぐらい前から、ネットランナーによるほぼ確信犯的とも言えるようなふたば☆チャンネルの紹介、画像収集Bot(Berry)による板の負荷上昇に苦しめられてきた所に、OSたんFLASHによる新規住人の流入、以前のマナーが通用せず虹裏独自のネタも理解されなくなる(いわゆる治安悪化)などという弊害などもあった。
OS娘がこれ以上広がり、ますます住人が増えるようなことは困る。新規住人をあまり増やしたくない、この場の平和を守りたい、という考えもまた存在するわけだ。


  • 逆に、OS娘が広がって欲しいという考え方

それと相反するような意見に、「せっかく自分たちが生み出したキャラクターなのだ、もっと有名になって欲しい」という考え方がある。
特に絵師や職人などは、自分たちの絵や技術を見て欲しいから描くのだということがある。自分たちが直接関わってきたキャラクター。としあきのみならず、多くの人に見て欲しい。普通は、多くの人に自分の作品を見てもらいたいからこそ同人なり絵師なりをしているのだろう。
そうしてOS娘が盛り上がることで、これまで虹裏にいなかった作家さんを呼び込むことにつながるかもしれない。また、虹裏の住人が増えてもっと盛り上がれば、自分たちのファンがもっと増えるかもしれない。虹裏が、もっと活性化するかもしれない。
OS娘を使って同人誌を作ろうという動きも出てくる。
さらには、自分たちの生み出したOS娘に虹裏以外の場所でも愛されて欲しい。もし自分たちの生み出したキャラクターたちがコミケの1ジャンルになるぐらいまでに成長したとしたら、どんなに嬉しいことだろうか、と。
作品を生み出すために努力するものにとって、自分たちの生み出した作品が広く多くの人間に愛されるという事は、もっとも嬉しいことだろう。作家というものに、そういう欲望は本質的に存在するのではないだろうか。
おそらくこういう考え方は、OS娘を絵やその他、直接的に作品にしてきた絵師や職人などに多いのではないだろうか。


  • 相反する考え方、留まるべきか広がるべきか

代表的な二つの考え方を上げたが、これにとどまらずいろんな考え方があるだろう。どっちでもいいという意見も無論あるだろう。
特にこのあたりは、としあき内で相反する部分であり、統一した考えが取りにくい。
ここから、OS娘の利用を誰にどこまで認めるべきなのか、という同意が非常に難しくなってくる。電撃帝王での掲載の件で問題になっている部分のひとつがそれだし、虹裏外でOS娘を使おうとする場合の手続きなどにも絡んでくる。
これもまた、いつかのタイミングで問題にしたい。


また、OS娘はできるだけ虹裏コミュニティから出て欲しくないという考え方は、OS娘を虹裏コミュニティ外で使おうとする人にとって、障壁と見られる場合がある。外目からは「生みの親でもないはずのとしあき達がOS娘を独占している」という見方も生まれるかもしれない。
もちろんそれは統一見解ではないし、一部でそういう論議がなされていても、としあき全員がそう考えているわけではない。必ずしも独占しようとしているわけでもない。が、もともと虹裏のような場所に偏見を持っている作家であって、でもOS娘は使いたい。そのような場合、「としあきによってOS娘が独占されている」ということが障壁となり、また負の感情になるかもしれない。
こういうことが、後のいくつかの事件の根底の一部にあるような気がするのだ。
これまた、各事件の背景として後日とりあげるかもしれない。