そもそも著作権とは?

さて、ここでまずOS娘の著作権が侵害された場合を想定してみよう。


としあきが精魂込めて育てたOS娘!
それを我が物としようとする雑誌○○○○○○ーッ!
かくして雑誌○○○○○○ーはOS娘を奪い、○○○○○○ー独自のキャラとして発表!
当然としあきは怒り心頭!自分たちが生んだキャラクターを勝手に奪うなど言語道断!
としあきは○○○○○○ーを訴えようと裁判所に駆け込む!」
裁判所の係官「著作権者のとしあきとは誰ですか? 侵害された著作物であるOS娘とは、いったいどういう著作物ですか? 著作権者のとしあきさんは、OS娘という著作物に対してどのような権利を主張するのですか?」
としあき「ええと…?」
当然ながらこれはフィクションであって、現実の事件やら実在する雑誌とは関係ない。悪意があるかどうかは別として。


はたして、この問いに簡単に答えられるだろうか。
法律とは無情なものだ。こういうことが分からないと、法律は見向きもしてくれない。
逆に言えば著作権とはあくまで法律が定める権利なのだから、これらのこと、つまり「誰が、何に対して、どのような権利を持つのか」が判明しないと論議できない。そもそもこれがわかりにくいことが、OS娘などのネットキャラの著作権が分かりにくい理由であって、これをある程度判明させようとするのが本章の目的だ。OS娘が著作権に関して抱えている本質的な問題のひとつはそこだといえる。
それでは最初に、著作権を論じる上で根本的に必要な要素、
・誰が著作権者となる(なりうる)のか
・(OS娘の)著作物というのは何を指すのか、どのような著作物なのか
著作権者にどのような権利があるのか
の概要について書こうと思う。


ちなみに後でも述べるが、これは「著作者あって著作物が生まれる」という考え方に立つ。OS娘の著作権について述べられる時「著作物があって、そこに著作者がいる」という考え方もあるように思うのだが、根本的にその順序には無理がある。なぜなら、著作権法が定める「権利」はあくまで「著作者」のためのもので、「著作物」のためにあるのではない。「著作者」の権利を守るためにあって、「著作物」の権利を守るためにあるわけではないのだ。著作物は「人」ではないのだから。
つまり、著作権について述べる時は必ず「特定の著作者がある著作物に対して権利を持つ」というところから始めなければならない。これは当然かつ根本的なことなのだが、OS娘のように誰が生んだか分からず、(感情的には)誰が生み育てたのかということははっきりしないような場合、単純に考えると「著作権は誰が持つのか?」ということがはっきりしなくなる。これは実は、「OS娘」あるいは「各OS娘」を漠然と「全体としてひとつの作品」と捉えるから起こるのだが、その考えを単純に当てはめることはできない。
また、各OS娘を一系統の作品だと考えることはおそらく考え方のひとつとして可能なのだが、これも「何を」継承して「一系統」となっているのかを考えないといけない。これは結果として「どの権利を主張するか」ということに絡んでくる。


「そんなにややこしいならば、著作権は『ない』ということで良いではないか、別に議論する必要もないではないか」という考えもあるだろう。その場合「パブリック・ドメイン」という「著作権を放棄され、誰でも自由に使うことができる著作物」として扱うことになるが、これもいろいろな理由から難しい。
GPLのようなフリーライセンスに従えば良いではないか」という意見もあろう。これは実際俺様も有意だと思うのだが、少なくとも既存のライセンスにネットキャラクターを上手に保護できるようなものはない。また、どうしてもライセンス自体に作品や配布形態が縛られることになる。
パブリックドメインやフリーライセンスの問題については、本章最後で述べようと思う。