問題点1というか疑問点 〜そもそも何をしたかったのか?

  • 「前例を残」したかったというが…?

 「はじめに 概要などについて」でも言ったのだが、この事件の中核となる部分は2005/4/8頃〜5月上旬のほんの1ヶ月ぐらい、石黒直樹氏が「歯車党日記」でOS娘の漫画が掲載されるという話を出してからのことだ。問題のかなりが石黒直樹氏の4月8日以降の言動に関係するので、この1ヶ月程の間ばかりの発言が全てだと思いがちだ。特に、「この企画で何がしたかったか?」ということについては、4/8の日記にある


石黒直樹氏 歯車党日記 05/04/08 16:51 電撃帝王VOL.5にて『とらぶるういんどうず』コミック化します より一部引用

 ひとりの「としあき」としてOSたんのキャラや世界が好きだったからと言うのは当然のことですが、もうひとつの理由としては「ネットキャラクターの商業利用における、きちんとした前例を作っておきたかった」というのがあります。


 が全てだと思いがちだ。石黒直樹氏が歯車党日記でこうは言ってるものの、あまりにその「きちんとした前例」がお粗末であったことも批判の的のひとつになっているわけである。
 しかし、である。実際は、企画そのものは8月ぐらいから動いていたわけだ。もちろん掲載時期が決まらなかったこともあるが、少なくとも各描きあき氏には許可を取ろうと考えてはいたわけで、かなりの準備期間が必要なことは容易に伺える。その性質から穴埋めや代原*1ではなかったと考えられる。ネットキャラのひとつであるOS娘は、通常の作品と違い著作権も作者も必ずしも明確ではないし、虹裏コミュニティの心情的な部分からみても決して簡単に使えるキャラクターではない。それは石黒直樹氏が歯車党日記4/8の文章でネットランナーの事を暗に示唆していることから少しは理解していたはずだ。そして実際に、少なくとも各描きあき氏には連絡して許可をとろうとしたわけだ。とすると、石黒直樹氏もその時点からこれが他の企画に比べて面倒であることは理解していただろう。


 ではなぜ、石黒直樹氏はこのような面倒な企画を実行しようとしたのであろうか? OS娘という、虹裏コミュニティから生まれたネットキャラクターを電撃なんとか*2に出させて、何をしたかったのであろうか?
 果たして、純粋に上記に引用したように、自分(石黒直樹氏)がOS娘を好きだから、またネットキャラの商用利用の良い前例を作りたかったからやった、だけなのだろうか?このあたり、その後の杜撰な処理や発言、守秘義務を盾に秘密裏に計画を進めたやり口を見ても、俺様には疑問なのである。
 本当に純粋にそれだけだったのだろうか? メディアワークスお得意のメディアミックスを狙っていたのか? メディアワークスによるOS娘の商業媒体での発展の筋道を自分の手でつけようとしたのか? とりあえず手を出してみようという軽い考えだったのか? 広い支持層を想定して商業的にも成功すると考えていたのか? 話題性を狙ったのか?
 いくつかのシナリオは浮かぶ。既に「」や同人の一部にOS娘というのはある程度定着していることは分かっていたわけで、それを固定支持層と考え、OS娘を出すだけである程度の数字は堅い(=新たな購入者を増やすことができる)と考えたのかもしれない。難しい問題を抱えるネットキャラの中でもっとも広く支持されているOS娘を使うことで、話題性を得られると考えたのかもしれない。(事実、確かに一部で非常に大きな話題になった。ただそれが、だいたいマイナス方向に作用したわけだが…) また、商業化に成功すれば「(虹裏でのOS娘を基にした)二次創作である」「作者(各描きあき)の許可を取った」ことを逆に盾にして、「メディアワークスのOSたん」でさらに商業展開しようとしたのではないか、という考えも浮かぶ。
 これらは特に何か根拠があるわけではなく、俺様の勝手な憶測に過ぎない。情報は何もないし結果もあの通りなので、今後何かそれに答えを与える情報が出てくることもなかろう。だから実際に何を考えてこのような企画を立てたかは、歯車党日記に出ている以上のことはおそらく永久に分からないのだろう。


  • ターゲットはどこに?

 上に挙げたもの程ではないにせよ、少なくとも読者としてキャッチできるターゲットをある程度想定してこの企画を進めていたのではないかと思うのだが(それすらも考えずに企画を進めていたとしたら大したものだが)、それは果たしてどこにあったのだろうか。どの読者層がOS娘を求めていると考えたのだろうか。まさか石黒直樹氏の自己満足のためだけにやったわけではあるまい。(いや、ある意味ではその可能性も否定しないが…) また、OS娘のどこを萌えポイントとして捉え、どのようにOS娘をアピールするべきだと考えていたのだろうか。
 正直なところ、これは俺様にとって石黒直樹氏の企画意図以上に見えにくい部分だ。全くといっていいほど分からない。それでもこの「ターゲット」という問題について論じるのは、「ネットキャラクターの商用利用」において重要な「ユーザ層(=顧客層)」に大きく関わってくる問題だからである。OS娘について言える一般論的な考察、及び歯車党日記コメントスレッドやOS漫画問題議論スレなどで出た意見を参考に、俺様なりに考えてみたい。


  • OS娘が持つ「萌えポイント」

 …「萌えポイント」という言葉で表すのもなんだか俗っぽくてあまりよろしくない気がするのだが*3、今ひとつ他の言葉が思い浮かばないのでこう表現している。なんていうか、そのキャラクターがユーザ(そのキャラクターのファン)に対してアピールするポイントというか、ユーザがそのキャラクターに対して求めるポイントというか、さらに俗な言葉で言えば「商品価値」とでも言おうか。これらは当然人それぞれであって、細かい部分で論ずることは無意味である。ここで言うのはかなりグローバルな部分の話である。


 ひとつに、単純に「OSの擬人化キャラ」という性質がある。これは比較的ライトな性質だ。
 「OSの擬人化キャラ」というのは別に新しい概念ではなく、Mac-OSなどなら比較的前から様々な擬人化が行われていたように思うし、M$Windows系にしても吉崎観音氏の「OSアイドルWinちゃん」*4をはじめとし、様々な擬人化が行われてきた。OSではないがマザーボードなどは公式のキャラクターが存在するものもあるし、擬人化ではないがLinuxなどもペンギンなどの公式キャラクターが存在する。元々PCのハードやソフトウェアを作る人にはGeek*5な人たちが多く、言うことを聞かないPCやソフトウェア達が駄々っ子、つまり人間やキャラクターのように思える、又は思い込む、思い込みたくなるものらしい。また、コンピュータマニアの層とアニメファンやSFファンの層が比較的かぶるのも、Geek(オタク)が女の子との接触が薄い(苦手、もてない)として描かれるのも、インドア系ならぬクローズドア系つまり引きこもり系でコンピュータと共に生きる変人として描かれるのも(そういうステレオタイプとして描かれるという意味で、実際が一概にそうだという訳ではないのだが)、日本と欧米共通の傾向のように思われる。
 ともかく、コンピュータや要素の擬人化はそれほど珍しいことではなく、割と自然に発生しうる傾向が強いものであると俺様は考える。しかも俺様含めたマニアの割と共通した傾向として「ダメなものほど萌える(燃える)」のである。普通の人なら投げ出すようなものを工夫して使い倒す、これこそマニアの骨頂!…ということは、説明せずとも分かるだろう。後でもう少し詳しく述べるが、もともとカーネルの出来が悪く、すぐフリーズする駄目OSであるMeがあっという間に擬人化され定着してしまったことからも言えるし、他のOS娘も何かしら(人として)駄目な部分を持っており(Me以外は本来のOSの性質からかけ離れた部分が多いのだが)、それが重要な萌えポイントとされている。
 また、PCやOSというのはそれぞれのユーザにとって非常に身近なものだ。インターネットの窓であり、会社での仕事の多くをPC上でこなし、最近は絵を描くにもPC上で行われるわけだ。spamにうんざりし、意味不明な仕様に手間取り、バグで止まり、フリーズに苦しめられ、OSが動かなくなり1日かけて再インストール、そして突然のHDDクラッシュでデータを道連れにあの世逝き…その度にユーザは涙を流しながらCtrl+Alt+Delするわけである。今のPCというのは、人によっては特別なIT機器であり、情報の窓であり、ある意味人間以上のパートナーなわけだ。そういう部分から、PC及びOSというものに対する思い入れというものは割と強い傾向があると思う。
 虹裏でのOS娘の誕生、改訂及び発展も、そういう思い入れが原動力になったのだろう。また、虹裏であれだけいろいろな属性が与えられ、洗練されたのも、各OSユーザである「としあき(当時)」の思い入れが少しづつ積み重ねられた結果だろう。また多くの人、ふたば外のユーザからも割と広く受け入れられたのも、そういう思い入れがあってのことだろう。OS娘はどうやって生まれたのかでも書いたのだが、確かにOS娘という存在は虹裏というカオスの場所でないと生まれなかった、あるいは今の形には育たなかっただろう。ただ、それを受け入れる素地は広くPCユーザに存在していたのではないか。だからこそ、虹裏内でもふたば内でも、そして虹裏コミュニティやふたば外でも割と広く受け入れられたのだと思う。
 つまりは、もともと「OSの擬人化」そのものはそれなりに広いユーザ層、需要があったと考るわけである。ただ、単純に層があるからといって受け入れられるわけではない。それは吉崎観音氏の「OSアイドルWinちゃん」がそれほどまでには広く受け入れられていないという差がある。「広くユーザに受け入れられる」という点では、おそらく虹裏発祥の「OS娘」の方が「成功」しているであろう。(後者は元々それを想定していたわけではないので、「成功」と言えるかどうかは疑問なのだが。あと、吉崎観音氏のキャラも別にそこまでのシェアを想定したものではないだろう。) この差はいったい何なのであろうか。
 ひとつは、吉崎観音氏の「OSアイドルWinちゃん」に比べ、虹裏発祥の「OS娘」はキャラクターのデザインにOSそのもののとしあき的イメージを多く取り込んでいる点である。「OSアイドルWinちゃん」は吉崎観音氏のキャラクター性がまずベースになっており、OSそのものの性質を表現した部分は少ない。無論そうだろう。あくまでそれは「吉崎観音氏のキャラクター」であることも重要なポイントだからだ。そもそも各OSという概念がなく、ただ一人「Winちゃん」がいるだけで、それでは各OS独自の性質を反映したものにはならない。それに対して虹裏発祥の「OS娘」は多くのとしあき達の持つ「各OSのイメージ」を強く反映したものになっている。デザインを見ても、Meは緑色と!マーク、2kは青と眼鏡で堅めなイメージ、XP-Pro(SP2バージョン)は青でメモリが多く(胸が大きく)柔らかめ、95は和服で古風など、それぞれのOSのイメージを表現したものとなっている。これは、その場その場で多くのとしあき達の意見やネタをキャラクターに取り込んでいるからなのは言うまでもない。各OSの一般的なイメージというのはとしあき外であろうと大きく変わるものではないわけで、それで一般にも分かりやすいキャラクターとなり、広く受け入れられたのではないかと考えるわけだ。
 もうひとつは、いわゆる「毒」の部分である。古今東西マニアというものは「ダメなものほど萌える(燃える)」という話はさっきした通りである。そしてコンピュータマニア、特に古き良きハッカーと呼ばれる人たちはダメなものに対するパロディ、すなわち批判を暗喩の形で言葉にするのが大好きな傾向がある。OS娘もそのような「ダメな部分、批判的な部分」をキャラクターの行動やデザインに内包している。Meなどはその最たるもので、駄目っ娘の部分を強く前面に押し出したキャラクターとなっているわけである。いぬてぃもそうであって、WindowsNT4.0の、忠実だが馬鹿正直で融通の利かない面を「犬」に例えられているところもある。デザインもそうだが、キャラクターのイメージや虹裏内外での行動などにそれはもっと強く表れている。Meは当然すぐフリーズする、2kはそのフォローにまわるキャリアウーマンだがお堅く近づきにくく存在感が薄いイメージ、XPはリソース食い(=大食い)などである。また95は95姐さんとも呼ばれ、ちょうどMacとのシェア争いでWin側が大きく進展した時のOSという歴史的経緯から、MacOSの爆弾とよく戦っているようなイメージもある。もともとM$Windows系OSはM$プロプライエタリ*6なOSだということもあり、登録商標でもあるわけだ。そのため商業媒体でおおっぴらに使うにはちょっと勇気がいる。ましてや批判的なパロディを商業媒体でおおっぴらに表現するのはかなり勇気ある行動と言えるだろう。当然「OSアイドルWinちゃん」でそんなものを強く表現できるとも思えない。このあたりは虹裏の匿名掲示板としての性質上、ダメなものに対する批判と非難と暗喩とパロディは平気で出てくるし、それをネタとして遊んでしまう、取り込んでしまうのも虹裏としあきの性質だ。このあたりの経緯は、「OSたんファンブック」*7でもある程度説明されている。この「毒」、つまり批判的なパロディは商業媒体が持ち難い性質だと言える。虹裏発祥の「OS」娘はそういうダメな部分、批判的なパロディの部分も持ち合わせているからこそ、ダメなものに萌えるマニアの皆様方に受け入れられたと考えられるのである。
 考えてみると、ここ最近のネットキャラと言われるものはたいがい何かしら「毒気」を持っているように思う。「それ以外の何か」というか「伺か」というか、あれの「任意」とか「さくら」と呼ばれるキャラクターがいるが、これも一種のネットキャラだろう。で、このキャラは2ch流の毒気のこもったキャラだと俺様は認識している。もともとキャラ自体がペルソナウェアの春菜に対するカウンター的なもので(もともと偽春菜という名前だった訳だし)、そういう直接に批判的な部分をもともと持っている。「まゆら」も「任意」程ではないにせよゲーマー流の毒気を結構持っている。2chのAA産のキャラなどもほとんどそうで、フーン兄弟などは毒というか2chネラーの代弁者的なキャラクターでもあるわけだ。比較的和みキャラと言われるιぃなども、「ぁゃιぃ」から名前を貰っているはずだし、場所によってはやはりダークキャラとなる場合もある。これらのネットキャラの主な誕生地は2chやふたばなどの匿名掲示板であり、彼ら住人の批判的精神がパロディとなり、一種の代弁者として表現されることもあろう。この「毒気」というのもネットキャラの重要な持ち味なのだろう。


 もうひとつに、「虹裏コミュニティのキャラ」としての性質がある。こっちはディープな部分だ。
 もちろん虹裏キャラとして生まれている以上、他の虹裏キャラと同じく、虹裏ローカルの属性というものが多く与えられている。OS娘はどうやって生まれたのかでも書いているのだが、OS娘もご多分に漏れずネタとして転がされているうちに変なネタを吸収してしまうのである。その最たる例が、ほめ子即ちXPのHomeEditionバージョンと、WindowsCEだろう。
 ほめ子については、「ほめ子がどうしてもほも子にしか見えないんだ」というレスがついたことから、坂から転げ落ちるがごとく801の世界にどっぷりという属性が与えられてしまった。さらには見境なく○×○という妄想を繰り広げ、さらには童話の世界ですら801の世界にしてしまうというキャラになってしまったのである。これは時期を同じくして、通称「ほめ子さんの世界やおい童話シリーズ」と呼ばれる一連の童話パロディの秀逸な作品が投下されたことによる。そのシリーズの作者は「ほめ子」と自称したわけではないが、「お…おねえさんが」と言っていることから、同時期に出現したほめ子のショタ弟(であり受けキャラ)の「ほめ男」との関係を想起させるわけである。*8
 他方WindowsCEは、杖を持ってはいたもののOS自体がマイナーなこともあり存在感の薄いキャラだったのだが、ある時期から綿棒など細い棒を見つけては『これを「」さんの尿道にですねー』といって「」のディックの貞操を奪おうとする鬼畜キャラになってしまった。それと共に出現回数も飛躍的に上昇、日々「」のエレクチオン・ロッド*9を襲うキャラとしてのステータスを確立したのである。
 Meのネギについてもそうだ。Meというキャラだけしか知らない人が見れば、風邪をひいた「としあきさん」のケツにでも刺すものだと思うだろう。しかし虹裏的にはそういう使い方は多分ナシだ。もし「としあき」が風邪をひいたとして、「風邪の時にはケツにネギを刺すと良い」という話を聞いたMeは、多分自分のケツにネギを刺すだろう。いや、そもそもMeのネギの使い方はもっと別なはずだ。Lindows(現Linspire、出た当初、そのカラーリングから虹裏的にはネギを意識した擬人化がされた…が、それを同じ緑色だからとMeが引き継いだらしい)とネギチャンバラをするためか、としあきに「エムイーサマハステキデス」という催眠術をかけるか、俺様的には白タイツを持ったメリノ様とチャンバラが思い浮かぶ。とにかく、ネギは何らかの形で武器または振る、踊るための道具として与えられたものだ。
 ほめ子もCEもキャラや一部の行動だけ見ていてもなぜそういう属性なのかは分からない。Meのネギの話など、経緯と虹裏的な知識がないと全くどういう意味かすら分からないだろう。こういう部分は商業媒体に乗せても全く意味不明なのは間違いない。少しはOS娘というものを知っている人間でも、その意味は深くは分からない。それどころか、新たに虹裏コミュニティなどに来てある程度雰囲気が分かった人間であっても、その真の意味を理解するのにはちょっと時間がかかると思う。スレやレスなどでネタの意味を問うのも無粋だし、保管庫を聞けば「ぐぐれ」と言われるし、となるとある程度努力して探さないと理解するのは難しいだろう。
 そもそもOS娘は、割と広く理解されそうなネタのみならず、虹裏ローカルなネタも少しづつ積み重ねられている。根底的な部分にやはり虹裏キャラとしてのローカルな性質を持ち合わせているわけで、そういう部分は虹裏やOS娘の発展をある程度見てきた人間でないと理解は難しいだろう。
 これはネットキャラの一面として重要な部分だ。むろんこういう部分は商業媒体に持ってきたとしても非常に表現しづらい。また、同人誌などでこれらのローカルネタに根ざす部分を表現したとしたとしても、ローカルな基礎知識がなければ読者の側が理解できない。逆にそういうローカルなネタを知らないままOS娘を取り扱えば、根底にあるはずのローカルなネタの部分、歴史的に与えられてきた妙な属性、虹裏キャラとしての行動原理などは反映されない。とすると、「」から見てそのOS娘が取るべき行動を取らなかったり、取るべきでない行動を取ったりという表現が生まれるわけである。このような作品に対する「」の評価はおそらく冷酷なものだ。「何か違う」と。現に、そういう同人誌は存在するわけである。それを指して俺様はこのように表現したことがある。「虹裏キャラとしての魂が入っていない、何か違うキャラのように見える」と。
 これもまた、他のネットキャラもある程度は持っている部分だ。先ほど挙げた「任意」なども、偽春菜という名が示すとおり「ペルソナウェア」の「春菜」のカウンターキャラ的な性質を色濃く持っているわけだ。容姿は似ているのだが、素直で和みキャラ系であった「春菜」に比して、「任意」は言うことを聞かずすさみ系のキャラ、おそらくほぼ正反対の性格である。たぶんこれはカウンターキャラとして意図的なものだと思う。俺様の理解が正しいのなら、これはデスクトップキャラクターエージェントのシェルとしての「それ以外の何か」(現:伺か)の生まれた意図そのものに関わるはずだ。*10 確か最初の実装では「ペルソナウェア」の「春菜」と「それ以外の何か」の「偽春菜」を同時に立ち上げると、「偽春菜」はそれを検知し毒づくはずである。その後これらの事情は確か黒歴史として封印されたように思うが、ともかく根底にそういうものを持っている。フーン兄弟などは2chローカルのネタが分からないと彼らの性質は分からないと思う。もしコスプレなどでフーン兄弟を着たとして、2chネタが分からない人に彼らの行動を体現はできないだろう。多分ほとんどのネットキャラが、多かれ少なかれその発祥の地のローカルなネタや経緯を内包していると思う。


 この二つのポイントは、商業媒体でネットキャラを利用しようとする場合において、キャラクターの性質自体が一つのハードルとなることを示唆する。ネットキャラの持つ魅力の一つである「毒気」は商業媒体で表現するにはちょっと憚られる内容だ。それでもオリジナルであればまだ良いが、OS娘などはM$との絡みもある。確かに虹裏ならOKなのか?ということも問題ではあるが、オープンであってもユーザ間コミュニティでOSの批判的パロディを繰り広げているだけと考えれば、それを怒る事は大人気ないことだろう*11。しかしこれが商業媒体だった場合、例え訴えられないと理解していても、自主的にそのような批判的パロディ表現を憚ると思う。明確に批判的な意図で描くなら別だが、そういう目的でOS娘を使うことは普通ないだろう。ネットランナーなら分からんが…。
 もうひとつの「ローカルなネタ」についてはさらに難しい。根底的な部分や行動原理など直接表に出ない表現はある程度描けるだろうが、元あったコミュニティ独自のネタとなるとまず無理だ。そのコミュニティに属する人向けに描かれた本(例えば、ふたばオンリーに出すために作成した同人誌など)ならともかく、商業媒体でローカルなネタを描いても、読者はまずついていけない。逆にそのコミュニティに属するものからすれば、一般レベルに理解可能なまでに一般化されたものは、「薄い」ものと考えるだろう。
 つまりは、これらの基礎知識のない一般読者と、少しは知っているが深くはしらないミドルユーザと、そのコミュニティに属する所謂ヘビーユーザ、これら3層を満足させるような漫画を描くことは非常に難しいということである。そのネットキャラの性質をよく理解していなければその根本的性質を描くことはできない、ということはほぼ必然的に、そのコミュニティに属してそのキャラの発展の経緯を見て、しかもそのキャラが好きでなければきちんと理解はできないだろう。これはそのコミュニティのディープな住人であることを要求されるということだ。また、その「ディープな」ネタを、一般の読者にも理解できるレベルにまで「翻訳」する必要があるわけで、それは漫画家として高い能力が必要とされるだろう。で、そんな有能な漫画家がネット発祥のキャラクターを使って漫画を描こうなどとは考えにくいわけだ。
 石黒直樹氏はこう書いている。


石黒直樹氏 歯車党日記 05/04/08 16:51 電撃帝王VOL.5にて『とらぶるういんどうず』コミック化します より一部引用

なお、栗橋伸祐氏に執筆を依頼したのは「元ネタがちゃんとわかっている」「ふたばユーザーである(ちなみに模型板がメインとのこと)」「マンガの構成力がある(わかっていない人が多いのですが、同じ絵でも一枚絵のイラストをうまく描けることと、マンガをうまく描けることはまったく別のスキルなのです。『BSマンガ夜話』で、いしかわじゅん氏が語るマンガのうまさに異を唱える人が多いですが、そういった点での認識がずれている場合が多いですし)」という点からです。

 確かに栗橋伸祐氏の構成力がないとも思わないし、イラストをうまく描く能力と漫画をうまく描く能力が異なることも、俺様の同人としての経験から全く否定しない。だが、構成力のほかにもっと必要なものがあるのではないか。模型板住人だった栗橋伸祐氏がそれほどOS娘のことを深く理解していたとはあまり思えないのである。俺様観点での評価ではあるが、電撃帝王版「とらぶるういんどうず」でもそれは表れていたと思う。(それでも理解していないことが見えるながらも、一応漫画としての構成はきちんとしていた。面白いとは思わなかったが、栗橋伸祐氏なりの努力は感じたものだ。)また、栗橋伸祐氏の構成力が果たしてOS娘を表現するのに向いていたかも非常に疑問だ。それほど氏の作品を知らないが、他に氏を活かせるネタがあるだろう、なのに何故OS娘なのかと俺様は思うのである。


  • ヘビーユーザは「生み育ての親」

 だからといって全く商業媒体を前提として描くことができないというわけではないのだが、OS娘に関して言えばもう一つ大きなハードルがある。それはヘビーユーザ、つまりは虹裏コミュニティ住人・OSコミュニティの住人の多くが、潜在的な「OS娘の生み育ての親」だという事実だ。誰がOS娘を産んだのか?でも述べたとおり、OS娘の誕生及び発達には多くのとしあきが関わっている。絵師として直接OS娘を描いているとしあきだけでも少なくとも数十人はいる。その他ネタや場の発展に携わったとしあき潜在的な生みの親育ての親だという議論は前にした通りである。とすると、上述の「ヘビーユーザ」の中にかなりの数の、潜在的な「生みの親育ての親」がいるということだ。さらには、先に挙げた「ネットキャラを漫画化する場合の描き手」の候補として「そのキャラが好きでなければ」「そのコミュニティのディープな住人であること」という要件を書いた。OS娘に限って言えば、この要件を満たすような人物は「としあき」だし、しかも何らかの形でOS娘の作品を虹裏なりに投下していることだろう。つまり、絵師の有力な候補も「OS娘の潜在的な生みの親育ての親」なのである。
 虹裏コミュニティとは恐ろしい場所で、『なんだか見たことのある絵柄のような気がするとしあき』が結構いたりする。これには深くは言及はしないが、とにかく何気にレベルが高かったりする。メジャーバージョンのOS娘たちもそうした環境から生まれているわけで、その分「」がOS娘に求める潜在的な要求レベルも高い。おそらくこの「レベルの高さ」も、ふたば内外で広くOS娘が受け入れられた理由の一つではないかと思う。OS娘に求められるレベルが高いことは、OS娘を描いてきた絵師あき諸氏がおそらく非常によく理解している部分であろう。だとすれば、同人誌など比較的閉じたコミュニティに頒布されるものならともかく、商業媒体にまで自らの漫画を掲載しようとなれば、これは非常に勇気のいることだろう。
 また、OS娘は多くのとしあき(「」)の手によって生み育てられたキャラクター、いわば「」の娘たちである。「」たちがOS娘をどのように考えているか、それも以前書いた通りだ。商業利用そのものを嫌う傾向すら一部にある。そういう中で、「」に無断でOS娘を持ち出し、商業媒体に掲載しようなどとはなかなか考えないだろう。OS娘は「」みんなのもので、自分ひとりのものではないからだ。そんなことをすれば、「」から何を言われるか分かったものではない。
 このように、OS娘誕生と発展の経緯から見ても、商業媒体での利用というハードルは非常に高いように思える。もちろんこれは「」である絵師あき氏に執筆を依頼すればという前提ではあるが、そうであるべき理由もこれまで述べてきた通りだ。もっとも、ハードルを高く考えすぎているという考えもまた、あるのだが。


 石黒直樹氏は私立歯車高校で「二次元裏@ふたば 」の直接のリンクを貼り、「一時期、仕事に支障をきたすほどはまった掲示板(以下略)」というマウスオーバーコメントをつけている。他にも確か、虹裏のヘビーユーザであるような事を言っていたと思う。虹裏に対する直接リンクを貼ることの是非などの問題もあるのだが、ともかくある程度ヘビーユーザ(だった)という意識はあるはずだ。にも関わらず、これまで論じてきたようなことを石黒直樹氏が理解していたとは思えないのである。もちろん、絵師あき氏たちの事情などは推測もあるし難しい部分だと思う。そして、ある絵師あき氏に依頼し断られたことも確かだ。ただ少なくとも、「ヘビーな」虹裏ユーザであるはずの石黒直樹氏が、自分が編集として担当している栗橋伸祐氏に執筆を依頼し、少なくとも石黒直樹氏が満足できるような漫画が出来上がると考えたのだろうか? プロットを誰が書いたのかはわからないのだが(栗橋伸祐氏が書いたとするのが妥当だが、他の人例えば石黒直樹氏が書いた可能性もある)、ヘビーな虹裏ユーザであり編集である石黒直樹氏が、漫画の編集として専門家であるはずの石黒直樹氏が、果たしてこのプロットを見て満足な漫画になると考えたのであろうか? ほとんど知識のない一般ユーザ、あるいはヘビーユーザである「」達、彼らの支持を得られると考えたのだろうか。
 俺様には、このあたりが非常に疑問なのである。
 そして最初の疑問に戻るわけだ。「石黒直樹氏は一体何がしたかったのだろうか?」と。俺様的に2〜3のシナリオは考えられるのだが、どれも疑問点が残るのである。これらのことを深く考慮せず、楽天的に考えていたのだろうか…?


  • 結果はどうだったのか

 もちろん残念ながら、アンケートの結果などは分からないのではっきりしたことは言えない。ただ、2005/04/26 電撃帝王vol.5が発売で書いたとおり、虹裏での反応もほとんどなければbogでの反応も殆どなかったわけだ。実際にGoogleで探してみたが、掲載が決まったこと、連載が中止になったことに関する記事は見つけられても、漫画そのものに対する感想はほとんどなかった。ようやく2〜3のページを見つけたが、今ひとつといった内容だった。俺様の探し方が悪いとも考えられるのだが、実際反応自体がほとんどなかったという可能性の方が濃厚に思える。ちょうど尼崎の列車事故が起こった直後でその影響もあったろう。ただ、それにしたってもう少し反応があってもよさそうなものだが…。
 連載打ち切りが決まった今、アンケートの結果が発表されることもないだろう。ただ、結局どのユーザ層にもアピールできず、普通の漫画として終わってしまったのではないかと俺様は思うわけである。
 あれだけ問題になり不買運動まで起こり、しかも内容があの程度のものでは「ヘビーユーザ」である虹裏コミュニティやOS娘コミュニティの「」達はほとんど手を出さなかったのではないかと思う。またちょっと知っている程度のライトユーザが取り込めたかどうかは疑問だし、何も知らない一般読者から見れば、普通のOS擬人化漫画としか写らなかったのではないかと思うのだが、実際はどうなのだろうか。



  • 多くの人の手を経たネットキャラ、その商業利用の難しさ

 OS娘は誰のものなのかで書いたのだが、OS娘はこれまでのネットキャラの中で例のない規模のものであり、しかもその誕生と発展には多くの人の手を経ている。 多くの人の手を経るからこそ属性が洗練されたキャラクターとなり、多くの人に受け入れられたと考えられる。他方、虹裏という巨大なカオスの場で育てられた以上、ローカルな属性も取り込んできたわけだ。他のネットキャラも、適切な場で多くの人間の手を経れば経るほど、これまで論じてきたような問題点(ハードル)を抱えることになろう。2chのAA産キャラはいくつかの事情からOS娘とはちょっと異なり、同列に扱うことはできないみたいである。(ここで、フーン兄弟やιぃの漫画を、ひろゆき氏の許可のみを取って掲載した場合どうなるかという疑問がある。やったらどうなるかはちょっと想像できないが、案外すんなり通ったりするような気もする。これは俺様の論理と矛盾するように見えるのが、多くの人の手を経すぎて逆に特定のコミュニティに留まらない、2chの枠すら超えて半ばパブリックな存在になっているからというのが俺様の考えである。)
 もちろん権利関係や、生みの親となったコミュニティの感情的な問題もあり、これは子の次に論じることである。それ以前の根本的な問題として、ネットキャラを商業媒体で利用特に漫画化しようとする場合の直接の問題としてどのユーザ層にどのようにアピール(表現)するかをよく考える必要があるし、そのために作家の選定も非常に難しくなるということを、ここでは言いたかったのである。


 ではこのようなネットキャラの商業媒体での利用での成功例はあるのだろうか。まだ成功例とは確定できないが、OS娘での「とらぶる・うぃんどうず 〜OSたんファンブック〜」の例がある。またふたば発祥で他にもうひとつ参考となる例がある。「ユーザ層」と「作家」の観点のみに絞ってこの2例を紹介したい。


  • 宙出版 「とらぶる・うぃんどうず 〜OSたんファンブック〜」の例

 7/6ぐらいに出てからしばらく経つわけだが、成功といえるかどうかは俺様にはよく分からん。ただ、予約でかなりの部数が出たらしいということはどこかの筋から聞いている。
 「OSたんファンブック」の大きな差は、まず明確にターゲットを「ヘビーユーザ」つまり虹裏コミュニティ、OS娘コミュニティの住民に絞っていることにある。(それを明記すらしてある) またミドルユーザ、ライトユーザにもある程度理解できるよう詳細な説明を入れている。どちらにせよ、何らかの形でOS娘に興味のある人のみをターゲットとしているもので、OS娘自体を知らないユーザのために作られたものではない。作家層はといえば、OS娘のメジャーデザインの各描きあき氏4名をはじめ、虹裏や自作絵でOS娘を多く描いてきた絵師あき氏で固められている。(例外…もあるのだろうか?) これらの絵師あき氏らは、虹裏や自作絵板などでOS娘のイメージを具体化してきた人たちだ。様々な方向性のOS娘が描かれているが、それでも「」の持つOS娘のベースイメージを崩すようなことはないと思える。まぁ、OS娘のイメージの構成に比較的深く関わり、その中で各絵師あき氏のOS娘を開拓してきた人たちばかりなので、それは当然の結果だとは思うが。


 これをネットキャラと言うべきかはかなり疑問ではあるのだが…。
 虹裏や自作絵など、虹裏系板の住民には馴染みが薄いと思われるが、お絵かき板系@ふたば(お絵かき、落書き、落書き裏のいずれか)で7アンC(氏)名義で掲載(投稿)していたイラストや漫画を元に漫画として構成、コンプエース高津ケイタ(氏)名義で掲載したのがこの「母は強し」らしい。高津ケイタ氏「J-M-BOX 母は強し はじめに」によると、お絵かき板に投稿していた分はお絵かき板のほかのキャラ(7アンC氏が描いたもの以外も含む)も出していたようだ。おそらくコンプエースに掲載された分は、7アンC氏のオリジナルキャラクターのみが使われていると考えられる。
 この場合は、「作者」は7アンC氏自身であり、自らが作成し、ずっと投稿していたキャラクターを商業媒体の漫画としたわけだ。登場キャラクターである「かあちゃん(本名・武田 角音)」などをネットキャラと考えたとしても、これは多くの人の手を経たものではない。もしかしたら、7アンC氏の絵を元に7アンC氏以外がこれらのキャラクターを描いた可能性はあるし、7アンC氏が自分のキャラクターに対してそれをフィードバックした可能性はある。しかし、もともと7アンC氏がほぼ独力で作り上げたキャラであり、そのキャラの生みの親育ての親は7アンC氏ほぼ一人だと言って間違いない。
 「ユーザ層」に関して言えば、コンプエースに掲載されたものは別にネットで掲載されていた分の基礎知識を必要とする内容ではない。普通の一般読者に向けて描かれたものだと思う。保管庫の内容から推察するに、お絵かき板などで7アンC氏の作品を見ていた人であれば「毎度の母強の内容だな」と考えたのではないだろうか。もちろん作者自身が描いている以上、世界観を崩すなどということもない。
 このように、一人ないし特定の数名によって構成されたネットキャラであれば、その人自身の手できちんと構成することによって商業媒体に載せるというのは特に問題ないだろう。そのコミュニティでよほど多くの要素を取り込んでいるなら話は別だが。
 ただそういった存在を、ネットキャラと言うべきかはちょっと疑問ではある。公開の手段の差や環境の差はあるが、創作同人誌のキャラを商業媒体に載せるのとそう変わりないからである。



 以上、長くなったが今日はここで一旦終わる。
 次は掲載までの手続きに関する問題点、「」に対する態度の問題点について語ろうと思う。もっとも、次はおそらく入稿後になると思うが…。
 しかし、なんでこんな長くなったかな…

*1:雑誌で、ある作家が落とした場合に、代わりにあらかじめ準備しておいた別の作家の原稿を入れること。または、その目的で用意された原稿をそう呼ぶ。

*2:企画段階ではメディアワークスの電撃系の雑誌に出すことは想定していたものの、それがどれかは決まっていなかったため。

*3:例えて言うなら、スポーツ新聞に「メイドの次の萌えはネコミミだ!」と書かれるような。

*4:今後何回か引き合いに出すが、実のところ俺様はこの作品を全く読んだことがないので、誤って理解している部分があれば指摘してほしい。

*5:英語で「オタク」を表す。元来は「変人」などを指す言葉。ニュアンスもかなり近いが、主にコンピュータマニアを指して言うらしい。

*6:所有権・占有権のある、独占的な、といった意味。特にある企業のソフトウェアについて、それが独占的・クローズドに扱われる場合について、「プロプライエタリなソフトウェア」という言い方をされる。

*7:「とらぶる・うぃんどうず-OSたんファンブック-」 宙出版発行、2005

*8:やおい童話シリーズの直接のリンクは避けるが、探せばすぐ見つかるはずだ。

*9:つまりは勃起した男性自身

*10:http://www.forest.impress.co.jp/article/1998/10/15/personaware.html 窓の杜「キャラクターを使ったプッシュ情報クライアント「ペルソナウェア」が公開」を見れば分かるが、最初「ペルソナウェア」はフリーで配布されており、誰でもこのような「ペルソナ」を作れたし、フリーで「ペルソナ」を動かすこともできた。少数ながら一定のファンがあり、いくつかペルソナも作られていた。ところが「ペルソナウェア」が翼システムに買い取られ、ペルソナウェアシェアウェアとなってしまったことから、ファンの一部が怒り出したという経緯があるようである。それで、「ならばフリーでエージェントシェルを作ってしまえ!」として生まれたのが「それ以外の何か」だということだそうである。こういう経緯があったから、最初の標準Ghostとして添付されたのは「偽春菜」だったわけで、性格ももとの春菜と真逆にされたのだと考えられるのである。その後「任意」とか「さくら」とか呼ばれるようになった経緯なども、この「春菜」の権利を持つ翼システムから訴えられたからだったと記憶している。

*11:M$に対する批判的パロディはかなり際どいものも含め数多くあるし、実際M$は少なくとも一度、あるサイトを訴えたことが大人気ない行動として批判されたという失敗を犯している。

*12:どちらを使うか悩んだが、サイトにPNとハンドル両方を記していたので併記した