先に訂正というか補足

法律とか判例とかのめどい点は、前から言ってる通り長いわややこしいわというのがある。この前「宇宙戦艦ヤマト事件」について書いたわけだが、これもまた長いので、実は判例の細かい部分は最初と最後しか読んでおらず、他の記事を参考にして書いていたわけだ。
で、書いた後に
牛木内外特許事務所 D. 著作権侵害訴訟 アニメ「宇宙戦艦ヤマト」事件
を通勤電車の中で読んでみたわけだが…。

「映画の著作物」について、監督でも表向きの原作者でもない「総指揮」のプロデューサーが「著作者」として存外に強いという判断が為された例である。一見意外に思うのだが、確かに映画の著作物についてはそのような解釈のできる条文がある。


と書いたのだが、これを読むとそら確かに西崎義展氏が勝つわけだと思った。
この判例には、「事実認定」という形で「宇宙戦艦ヤマト」〜「宇宙戦艦ヤマト・完結編」までの8作品について、西崎義展氏・松本零士氏双方の作品に対する貢献の度合いがかなり詳細に記されている。全体を通して認定されていることは、原作・監督として名前が挙がっているのは松本零士氏であるが、実質的にストーリーの骨子と企画を立て、大筋のシナリオを書き、スタッフをまとめ上げたのは西崎義展氏である、ということである。確かに西崎義展氏が実質的な原作者というべきで、松本零士氏の主張を通すのは難しかろうと思ったわけだ。むしろ、よく最後西崎義展氏側が「共同著作物である」と認めて和解したものだと思う。
この判例が興味深いのは、裁判の事実のみならず、西崎義展氏が「宇宙戦艦ヤマト」という作品を作成するに当たって非常に丁寧に関わっており、どのように作品を作り上げたかということがしっかりと表されている点だ。また、アニメーション映画という作品に含まれるたくさんの要素、作業分担、それをまとめ上げる苦労なども、かなり細かく読み取れることが興味深い。
この判例は事実認定もかなり明確で、また著作権がらみの裁判にしては判決の理論も分かりやすく、また「宇宙戦艦ヤマト」というヒットアニメの意外な一面をも淡々と、しかししっかりと描いたものとして一読の価値はあると思う。
ただもちろん、非常に長くて読みづらいのだが…。(これでも、マシな方だと思うが)



それと、一次著作物の著作権者が二次的著作物に対してどのような権利を持つかということについて。

つまり一次著作物の著作者がダメだと言うと二次的著作物の著作者はOKだと言えないのである。(逆はどうかというと…これはよく分からん。)

と書いたが、
牛木内外特許事務所 D. 著作権侵害訴訟 連載漫画の原作とキャラクターの絵との関係

著作権法28条は、「二次的著作物の原著作物の著作者は、当該二次的著作物の利用に関し、この款に規定する権利で当該二次的著作物の著作者が有するものと同一の種類の権利を専有する。」と規定する。この規定の意味は、原著作物の著作権者には他人が創作した当該二次的著作物を当然に利用する専有権があると解することになる。したがって、Aの小説を英訳したBは、Aが許諾すればその英訳本を出版することができるが、AはBの英訳本を無許諾で出版することができることになる。

とある。つまり、BがダメといってもAはBに無許諾で二次的著作物を出版したりすらできるということらしい。これはいくらなんでも不公平だと思うのだが、著作権法ではそうなっているということだ。(もちろん、倫理上こういうことを行ったりは通常しないはずだが)
これは、先に述べた通り「二次的著作物」とされてしまうと、実質的にはその著作権は一次著作物の著作権者に握られてしまうということを示している。このことには注意する必要がある。

先に、一次著作物と二次著作物について

  • 安易に「二次著作物」と言うが…?

著作物の種類にあたるのかどうかはちょっと分からないのだが、「種類」について論じる前に先に「一次著作物」と 「二次著作物」(二次的著作物と言うのが正しいらしい)の差について論じておきたい。なぜかというと、「二次的著作物」となったものには「一次著作物」に非常に強く縛られるからだ。安易に「二次(的)著作物だ」と考えるととんでもないことになる場合がある。実際先に挙げた「キャンディキャンディ事件」の例は、それが二次的著作物とされたために、漫画家側の著作物の利用に非常に大きな制限がかかることになってしまったわけだ。


まず、「二次(的)著作物」とは何か。もちろん虹裏などが表すような「二次元」という意味ではない。


著作権法*1

第一条
十一 二次的著作物 著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案することにより創作した著作物をいう。


ここで重要なのは、「翻案」という言葉だ。広辞苑(第五版、岩波書店)によると、次のようになっている。

翻案
前人の行った事柄の大筋をまね、細かい点を変えて作り直すこと。特に、小説・戯曲などについていう。

これだけを見ると、原作(小説?)→漫画という関係には翻案という関係にはないように見える。しかし、著作権法では「若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案し」と定めている。判例などでも原作を元に別メディア(別の表現形式)で別途作成したものについて、翻案だとする例が多く見られる。
一般には「小説の映画化」「小説の漫画化」「漫画のアニメ化」「アニメの漫画化」などは全て翻案にあたるとされている。またコラージュなどは変形に当たるし、パロディなどもまずは翻案として考えられる。極端には、原作(元作品)がある著作物については、全て「翻案」なのかを疑ってみる必要があるということだ。
ではあるイラスト(=美術の著作物)を真似て別のイラストを作成した場合はどうなるか?これもひとつに翻案だという考え方ができるが、これについては後で詳しく論じたい。同人誌、それとネットキャラなど不特定多数による系統著作物*2についてどうなのかということは、後で詳しく論議したいと思う。


また、キャンディキャンディにおいては、アニメ(=映画の著作物)を二次的著作物としながら、一次著作物の著作権侵害のみならず、二次的著作物の著作者である東映動画著作権をも侵害したと認めた例があるという。(これはキャンディキャンディ事件のところで軽く触れる)


とにかく、だいたい一次著作物か二次的著作物かということは、この「翻案」にあたるのかどうかで争われれることがほとんどだ。また今後の論議でも、「翻案」なのか「創作」なのかどうかが度々問題になってくる。

あと、一次著作物Aから二次的著作物Bが作成され、またさらに二次的著作物Cが作成された場合はどうなるか。これはおそらく、Cに対してBは一次著作物となり、Cに対してAも一次著作物となると考えるのが妥当だと思う。


  • 一次著作物と「二次的著作物」の関係

では、一次著作物と二次的著作物の権利の関係はどうかというと、次のように規定されている。
著作権法

(翻訳権、翻案権等)
第二十七条 著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。

(二次的著作物の利用に関する原著作者の権利)
第二十八条 二次的著作物の原著作物の著作者は、当該二次的著作物の利用に関し、この款に規定する権利で当該二次的著作物の著作者が有するものと同一の種類の権利を専有する。

(二次的著作物)
第十一条 二次的著作物に対するこの法律による保護は、その原著作物の著作者の権利に影響を及ぼさない。


文面だけを見ると、「専有する(=専ら有する)」とあるから、著作者以外には翻訳権、翻案権はないように見える。が、これは第六十三条における「許諾」でそれを許諾することができるのだろう。また、これは譲渡可能な権利でもある。
第二十七条はつまり、「二次的著作物」を作成する権利を規定したもので、これを(著作者が)他の人に許諾することにより、著作者以外が二次的著作物を作成することができると解するのだろう。
また第二十八条は、二次的著作物の著作権者が持つ権利と同じものを、一次著作物の著作者も持つことを規定している。つまり一次著作物の著作者がダメだと言うと二次的著作物の著作者はOKだと言えないのである。(逆はどうかというと…これはよく分からん。)
第十一条はつまり、二次的著作物が一次著作物の権利に影響を及ぼそうとしても、それはできないことを示すのであろう。実例はちょっと思い浮かばない。


キャンディキャンディ事件の例などを見ると、二次的著作物とされることで、二次的著作物の著作者(著作権者)は一次著作物の著作権者の意に反して著作物を利用することができなくなる。実質的には支配されているのと同じだとも言える。これは著作者人格権などについても適用されると解するべきだろう。
第十九条(氏名表示権)においては、別途に規定されている。
著作権法

(氏名表示権)
第十九条 著作者は、その著作物の原作品に、又はその著作物の公衆への提供若しくは提示に際し、その実名若しくは変名を著作者名として表示し、又は著作者名を表示しないこととする権利を有する。その著作物を原著作物とする二次的著作物の公衆への提供又は提示に際しての原著作物の著作者名の表示についても、同様とする。


これは、一次著作物同様「一次著作物の著作者」が二次的著作物にどのように氏名を表示するかを任意に決定できるという意味だろう。


このようなことなので、二次的著作物の著作者(著作権者)は一次著作物の著作者(著作権者)に権利を大幅に支配されることになる。これがために、安易に「翻案による著作物」「二次的著作物」であると考えることは危険だということをご理解頂きたい。特に、元作品に対する派生的作品について論じるときにはこの論議は避けては通れない。



  • 一次著作物か二次的著作物かが問題になるとき

基本的に、それが一次著作物か二次的著作物なのかが問題になるのは、それについて合意が行われるか、争われた時だけである。逆に言えば、ある著作物について、ある条件の派生的著作物を「一次著作物」とする合意も可能なのだろうか?つまり、元の著作物の作者と、派生的著作物の作者が明白な合意によって、「双方を一次著作物とする」とすることもできるのだろうか。
これははっきりとそれを謳った例は今のところ見つけられていないが、おそらく可能なのではないかと思う。
前出の「宇宙戦艦ヤマト」の例において、「和解書」の中で「宇宙戦艦ヤマト」の著作者人格権を「西崎義展氏が代表して行使する」こととともに、西崎義展氏が指揮する「宇宙戦艦ヤマト・復活編(仮題)」と、松本零士氏が指揮する「大銀河シリーズ 大ヤマト編(仮題)」について、双方が「著作者人格権を行使せず、かつ新著作物について別件映画(旧作)の著作者人格権の存在ないし影響を争うことなく」と明示している。
必ずしもこれは二次的著作物に言及したものではないが、これと同様に「争わない」ことで「二次的著作物であることの確認を行わない」、つまり双方が一次著作物として成り立つということも可能なのではないだろうか。
ただ、これは類推であって、実際にどうなのかは実例がないとよく分からんというのが正直なところだ。


  • 自由に翻案又は変形が行える例 〜私的利用〜

ちなみに、著作者(著作権者)の意思に関わらず自由に変形、または翻案できる例がある。私的利用である。


著作権法

(翻訳、翻案等による利用)
第四十三条 次の各号に掲げる規定により著作物を利用することができる場合には、当該各号に掲げる方法により、当該著作物を当該各号に掲げる規定に従つて利用することができる。
一 第三十条第一項、第三十三条第一項(同条第四項において準用する場合を含む。)、第三十四条第一項又は第三十五条 翻訳、編曲、変形又は翻案

(私的使用のための複製)
第三十条 著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。


私的利用というのは結構著作権で問題になる話だが、ともかく個人が個人として、個人として完結する形で利用する場合は、要はどのように変えても構わないということである。つまり、他人に全く見せることなく、家からも持ち出さない(持ち出せない)のであれば、どんなパロディだろうが変形だろうが翻訳だろうが、真似して絵を描こうがトレスしようが、フィギュアなどを魔改造しようが、アレでナニしようが、構わないということである。(倫理的にどうかということはさておいても)
厳密には家から持って出たとたんに問題になるわけだが。ついでにインターネットで送信するなどは、もちろん「私的利用」にはあたらないのでアウトである。


ちなみに有名な伝説「ミッキーマウスの絵を家のプールに描いたら、ディズニーがプールを潰しに来た」というのも*3、日本の著作権法に従うならば「私的利用」に当たらないか?ということがまず問題になろう。もっとも、屋外のプールであれば衆目に触れるから「私的利用ではない」という判断もできるだろうが。屋内プールであればまず「私的利用」で通ると思う。
そういや「どこかの小学校で」という説もあり、この場合は私的利用とは言えない。


あと、第三十三条〜三十五条については、教科書など教育目的で利用する例の話である。いくらなんでもOS娘が教科書に載る例はないと思うので、これについてはこれ以上言及しない。


  • 二次的著作物について簡単にまとめてみると

ここで、一次著作物と二次的著作物についてごく簡単に箇条でまとめてみる。

  • 二次的著作物とは、著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案することにより創作した著作物をいう。
  • 翻案により生み出された著作物は、二次的著作物である。
  • 「小説の映画化」「小説の漫画化」「漫画のアニメ化」「アニメの漫画化」などは全て翻案にあたるとされる。
  • 著作権法第二十七条により、著作者が他の人に許諾することで、著作者以外が二次的著作物を作成することができると解釈できる。
  • 二次的著作物とされることで、一次著作物の著作権者の意に反して著作物を利用することができなくなる。実質的には支配されているのと同じ。
  • 安易に「翻案による著作物」「二次的著作物」であると考えると、その著作物は一次著作物に対して大きな制限を受けることになる。
  • 私的利用の範囲であれば、翻案でも変形でも著作者(著作権者)の許可なく行うことができる。


とりあえず今日はここまで。
ようやく次に、「著作物の種類について」である。

*1:以下、著作権法 昭和四十五年五月六日 法律第四十八号 、平成 十六年十二月  一日 同 第百四十七号〔民法の一部を改正する法律附則第七十五条による改正〕 のものに基づく。

*2:多数の著作者が、連綿と連なるようにある著作物を変形していくというニュアンス。これは俺様が今考えた言葉で、法律にも法学にもそのような言葉はない。

*3:これは都市伝説で実際にあった話ではないとも言われているが、真相は俺様も知らん。また、この話を伏字なしで書くこと自体は言論の自由の範囲で名誉毀損には当たらないと俺様は信じている。あと、著作権を侵害しているということと、プールを潰して良いということも当然別問題である。アメリカならOKなのか?

どのような著作物かという話

ここしばらく、ちょっと参っていたのと仕事が忙しいのとで全然進んでいなかった。ついでに曲者だらけの著作権に関する論議の中でも、著作物というのが案外ややこしかったりする。
「OS娘がどのような種類の著作物であっても、著作権には関係ないのではないか?」という考えもあると思う。普通は種類が違おうが著作権に関する考え方は同じだろうと思う。ところがこれが、なかなかそうはいかない。
単純に「著作物の種類」を論じるだけでもややこしいのだが、さらに著作物の種類によってどのように著作権が持たれるか、著作者の解釈なども変わってくるので非常にややこしいのである。


なに?俺様がややこしく考えているだけなんじゃないかって? いや確かにそうなんだが、実際考えれば考えるほどややこしいのよこれ。ついでにややこしく考えたことをあーでもないこーでもないととりあえず書いてみて、なんとかまとめるのもこのブログの目的のひとつだだったりするわけだよ。どうしても、調べて勉強しながら書くような形になる。
ついでに法律とか判例とかに絡んでくる話は、書く内容のことごとく事実関係をぐぐって調べないといけないんでえらく大変なのだ。例えば下に書いてある宇宙戦艦ヤマトの話でも、下書きの段階ではだいぶ内容を間違っていた。この場合はwikipediaさんに詳しく書いてあったので事前に修正することができたが、そうでない例もある。また判例や解釈などは、俺様の長文がさらに束になってかかってもまだ負けるというぐらい、込み入った、しかも分かりにくい文章なのだ、これが。(後でリンクは書くが、ひとつ私が読みかけのものだけで84kある。実に「OS娘はどうやって生まれたのか 」の倍以上! 著作権法をコピペしただけでも160k、8万文字、原稿用紙にして200枚以上、俺様の持っている判例六法全書・平成十二年版・金園社で31Pある。しかも複雑にリンクしているという代物だ。)
そんなわけで、なんだかんだで間違ったりしている部分も多々発生しうるが、気づいた時は是非指摘してほしい。間違えていた部分については随時修正していこうと思う。
また、ある程度のブロックごとにきちんと見直し、慎重に書かないと怖くてアップできないので、ペースはかなり落ちると思うがご了承頂きたい。


  • 過去の裁判を少し挙げるだけでも…

例えば、「宇宙戦艦ヤマト」の著作者問題というのがある。
宇宙戦艦ヤマトの原作者(著作者)と言えば一般に漫画家・松本零士*1だと思われている。ストーリーやキャラクターを作ったのも松本零士氏であるように見えるのでそのように思うのは多分自然だろう。実際、wikipediaを調べると、「宇宙戦艦ヤマト」は松本零士氏は原作・総設定・監督となっている。
Wikipedia-日本 宇宙戦艦ヤマト


しかし、映画プロデューサーである西崎義展氏(企画・原案・製作・総指揮)が、手記で「著作者は自分」と公開したことをきっかけに松本零士氏が著作者人格権の確認を求めて裁判となった。結果、東京地裁にて西崎義展氏が勝訴した。
これは、西崎義展氏が
ヤマト裁判、松本零士はなぜ負けた?

「企画書の作成から編集まで具体的な指示を行い、一連の作品を創作的に形作った」

から、松本零士氏は共同著作者だがその寄与は一部であり、全体に対する著作者とすることはできない。著作者人格権は西崎義展氏が行使できる」とされたのである。その後和解に至り、最終的には「松本零士氏と西崎義展氏が共同著作者であり、西崎義展氏が代表して著作者人格権を行使することができる」との合意に達したのである。*2
詳しくは、下記リンクに「和解書」という形で公開されているので、そちらを参考にしてほしい。
「新宇宙戦艦ヤマト・復活篇の詳細について」
裁判については、次のページに詳しい。
牛木内外特許事務所 D. 著作権侵害訴訟 アニメ「宇宙戦艦ヤマト」事件*3


これは、「映画の著作物」について、監督でも表向きの原作者でもない「総指揮」のプロデューサーが「著作者」として存外に強いという判断が為された例である。一見意外に思うのだが、確かに映画の著作物についてはそのような解釈のできる条文がある。(後で軽く触れる)
漫画の世界でもこれと似た例があり、有名なものに「キャンディキャンディ訴訟」がある。これも裁判で原作者である水木杏子氏がこの原著作者とされた。結果、いがらしゆみこ氏はなんと「キャンディキャンディ」の二次著作者と判断されたようで、「原作者」に無断でキャラクターを使用することも、原画を展示することもできなくなってしまった。この裁判については後で詳しく述べるが、これも「原作者」が著作者として存外に強いことを示した例である。


俺様も裁判の結果を知った時には驚いたし、漫画に慣れ親しんでいる人間にもかなり意外な結果だと思う。実際かなり意外な判決だったようで、原作のある漫画についての重要な判例として、よく取り上げられているようだ。(この判例に批判的な意見もあり、それは重要な論議なので後に詳しく取り上げたいと思う。)


裁判の結果だけを見るととても奇妙な判決に見えるのだが、どちらにせよ「絵としてのキャラクター」を作った「漫画家」が、プロデューサーや原作者に比べて著作者として「弱い」という結果となっている。
実を言うとこのふたつの裁判、特に後者にはかなり裏事情があるようで、必ずしも他も同じような結果になるとは限らない(特にOS娘に関しては、同じように当てはめることができないことは後で述べる)。だが、ともかくキャラクターの形成、特に容姿に大きく寄与するであろう「漫画家」の権利が意外なほど低くなってしまった事情には、著作物の種類という性質が大きく関わっていると思う。


また、特にOS娘は「ネットキャラクター」つまり「キャラクター」としての性質が非常に大きい。「OS娘はどうやって生まれたのか」でも語ったのだが、OS娘は結局最初あるデザインのキャラクターが生まれ、それを他の絵師が「真似る」→「継承する」ことで進化していったのである。
では、この「継承」ということが著作権的にどうなるのか。一次著作物なのか二次著作物なのか。「真似る」ということはどのような権利の黙認によって成り立っているのか。絵師Aが描いたOS娘と絵師Bが描いたOS娘、これはどのように「同じ」なのか。
これは著作物の種類によってだいぶ考え方が変わってくる。


その他OS娘との関係は薄いが、ゲームの著作権における裁判については「映画の著作物」かどうかという観点で争われることが多い。これは、特に「映画の著作物」が他の種類の著作物と比べて特別な権利を持っているからによる。このように著作物の種類によって権利も変わってくる場合がある。(他に比べてかなり特別に著作権の保護が強いのは映画の著作物だけなので、OS娘とはあまり関係ないが)


ここでは、著作物の種類にどのような種類があるか、どのようなものは著作物になるかならないか、OS娘などのネットキャラはどの著作物に属するのか、そのような種類の著作物の利用について過去どのような判断(判例)があるのか、どのような考え方があるのかなどを考察していきたいと思う。
上記のようなことがなぜ起こるのか。法の判断における「キャラクター」とは何で、それをOS娘に当てはめた場合どうなるのか。これは判例も含めた非常に長い論議になると思うが、ちまちまと書いていきたい。

*1:以下、裁判などの例で使用する名前は全て公開されたPNを利用している。参考にした文書によっては本名で書かれているものもあるが、本稿では特に必要のない限りは、最も有名なPNで統一したい。

*2:この例の場合、争われたのは「著作者人格権」についてであって、所謂「版権」など「著作財産権」と言われるものについては争われていない。これは東北新社バンダイビジュアルなどが持っているとのことである。

*3:今後、このサイトへのリンクが多く出てくる。これを書いている牛木理一氏は、2005年5月29日現在、日本マンガ学界の監事をしている。また著作権特に漫画やキャラクターなどについてよく論じているようで、資料も多く集められていることから、このサイトを選択している。

うまくはいかないね

うーん、進んでいない。


どうもここ数日お仕事が忙しく、先週は先週で精神的にへこむことがあったので進んでいない。
昨日はまぁ、「著作者(著作権者)」のところを後ろ半分ぐらい書き直したのだが、次の「著作物とは」がまたややこしいのよな…


まぁそれでも、がんばってちまちま書いていくしかないな。ブログとはそんなもんだ。
…これがブログで書く内容なのか、ってのは俺様もちと疑問なのだが。

いろいろぐだぐだ

なんだかここ数日会社で忙しそうだわ、今日は今日でちょっと別途で(ここ以外で)反論しなければいけないことがあるわ…でお休みである。


ちなみに著作権について考え始めてはいるんだが、この前の文章はちょっと後から読んでみるとかなりだめぽなので、書き直そうかと考えている。

「」 『文章が締まってるかどうかは微妙だが、文章が纏まってないのは間違いない
どっちかっつうと締めるより纏めてくれ』

という意見に関しては「仕様だ」と言おうかと思うのだが、ちと書き方変えたほうが良いのかなぁと思ってみたりもするわけだ。
そんなわけで、ちょっと今考え中だ。


それとあと

くろ松 『著作者から話すのではなく、パブリックドメインから実体のある著作権者への流れは如何か?』

とか、トラックバック
2005-05-16

とりあえず、『民謡』や『節回し』と著作権というキーワードとか、山田奨治さんの著作『日本文化の模倣と創造』


とかの意見?がある。
確かに著作権埒外の例として、OS娘に似てるってのはある。ただこれを著作権の所でもってくると話がややこしくなるから今しばらくは避けたい。どちらか言うと俺様的には文化的な観点から論じるべきかと思うので。
あとパブリックドメインについては、OS娘がそうしにくい理由も含め、著作権の最後の所で触れようかと思う。

著作者・著作権者とはなんだろうか?

さて、OS娘の著作権は「誰」が持つのだろうか?
確かに現在、暗黙の合意によって各OS娘に「著作権者」が定められているが、厳密に考えるとまずこれが非常に難しい問題だということが分かる。


これまでに、OS娘の生みの親が「としあき」であるという論議をしてきた。この場合のとしあきは、特に虹裏コミュニティ全体の不特定多数による住人集団を指す。著作権は著作物の生みの親に与えられるべき権利…ということは、「としあき」を著作者とするのだろうか。
不特定多数の集団である「としあき」に著作権が与えられたとして、ではそれを誰がどう行使するのだろうか? それ以前に不特定多数の集団としての「としあき」を著作者とすることはできないのではないか?


これはその通り、無理だ。先ほどから書いている通り、「著作権」とは法的な権利であって、その権利を受け取るのは個人、または法人に当然限られる。「不特定多数の集団」に「(法的な)権利」を与えるための法のシステムは存在しない。だから、OS娘に著作権が発生するとすれば、何らかの形で個人または法人(団体)に帰属することになる。
これが、実質的には不特定多数の手によって生まれた「ネットキャラ」の著作権の最初につまづく点だ。著作権法がこのような著作物の形態を想定していない以上、このような場合に誰が著作権を持つかも、「誰も著作権を持たない」とも明確には決めてくれないわけだ。
とすると、既存の判例や慣習から決めていかなければいけないことになる。しかしながら、「不特定多数の人間によって作られたキャラクター」というもの自体が匿名掲示板というタイプの掲示板から生まれたようなもの。*1その中でも、ここまでの規模に発展し、かつ商業出版誌が無断利用して問題になった例は初めてだろう。つまり前例がない。当然、事前に暗黙でも明示的にでも合意されているわけでもない。では、どうすればよいのだろう?


実際には、既存の枠組みと前例の中で考えていくしかない。最低でもそれぞれ「作品」として発表されたOS娘には、それぞれの作品ごとに一人以上の「作者」がいるわけだ。これを軸にして考えていかざるを得ない。
誰がどのように「OS娘の著作権」なるものを持つかはいくつかの考え方ができる。ただし、「OS娘がどのような著作物か」という事を規定した上で詳しく検討する必要がある。
この段階では、
・誰か一人以上の個人、もしくは法人が、ある著作物に対する著作権を持つことができる。
・誰がOS娘の著作権を持つかは、様々な説がある。
ということをはっきりとさせておきたい。

また、著作権法によって「著作者」がどのように定められているかというと、
著作権法 *2

(定義)
第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
  二 著作者 著作物を創作する者をいう。

とだけある。えらくあっさりとしたものだ。ただし、これには作者の明確な意思がなくとも「著作物を創造した」時点で著作者となるということにも留意いただきたい。


  • 変名の著作者、無名の著作者と匿名の著作者

では、匿名掲示板で「作者が特定できない」場合の著作者はどうなるのだろう。ふたばや2chといった匿名掲示板の場合、もちろん名前は板固定の匿名(「としあき」とか「名無し」など)が普通だし、作者の特定も容易ではない。今の虹裏の場合は名前欄がないわけで、「」などと称されるが実際には「無名」と考えるのが妥当だろう。(名前欄やメール欄などでコテハンを名乗る場合もあるので、この場合は除く)
「著作者が匿名である」「著作者が無名である」ことは、ややもすれば「著作者が存在しない」→「著作者をないがしろにしても誰にも怒られない」という考えになりかねない。
直接的な問題にはなっていないとしても、ネットランナーの無断掲載、デジャブアートワークスのとしあき批判については根底的にそのような考えがあったのではないかと思う。また電撃帝王のOS娘漫画掲載の件でも、「著作権の問題はクリアした」という主張はあるが、これをどの程度厳密に考えたかには非常に疑問がある。厳密に考えていれば、あのような意見が出てくるとは考えにくい。


実際には、「変名」(ペンネームなどを使う場合)はもちろん、「無名」の場合でも著作権者としてなんら変わらない権利を持つ。(厳密には、著作者が「著作者名を表示しないこととする権利」を持っている。)


著作権法

(氏名表示権)
第十九条 著作者は、その著作物の原作品に、又はその著作物の公衆への提供若しくは提示に際し、その実名若しくは変名を著作者名として表示し、又は著作者名を表示しないこととする権利を有する。その著作物を原著作物とする二次的著作物の公衆への提供又は提示に際しての原著作物の著作者名の表示についても、同様とする。


また、「著作権者不明等の場合*3」の場合でも、「相当な努力を払つてもその著作権者と連絡する」必要があることが規定されている。つまり、「不明な場合でも著作者、著作権者はどこかにいる」とまずは考えるわけだ。


著作権法

著作権者不明等の場合における著作物の利用)
第六十七条 公表された著作物又は相当期間にわたり公衆に提供され、若しくは提示されている事実が明らかである著作物は、著作権者の不明その他の理由により相当な努力を払つてもその著作権者と連絡することができないときは、文化庁長官の裁定を受け、かつ、通常の使用料の額に相当するものとして文化庁長官が定める額の補償金を著作権者のために供託して、その裁定に係る利用方法により利用することができる。


これはおそらく、「匿名」つまり(半ば意図的に、もしくはコミュニティの掟として)敢えて自分を特定できないようにして発表することを明確に考慮したものではないだろう。それでも、「匿名」であっても著作権者としての権利は全てあり*4、使う前にはまず著作者に許可を取る努力をしろ、と捉えてよいと思う。匿名であることを理由に、著作権上の観点から「匿名である時点で著作権は放棄したとみなすべきだ、PN(など、作者が特定できる形)で発表した方が権利があるのだ」とか考えるのははっきり言って筋違いだ。そこには何ら差はない。あくまでそれは感情的な話である。
また、「著作者が無名で発表するということは、著作権を主張しないという意思表示ではないのか」という考え方もあろう。しかし法の規定では無名であってもきちんと著作権は主張できるわけだ。だから、そう考えるのはあくまで勝手な、しかも誤った類推だろう。少なくとも著作権法上は。


  • としあき」や「名無しさん」は変名なのか無名なのか?

ここで板固定のデフォルトネーム、「としあき」や「名無しさん」などは「変名(ハンドルやペンネーム)」なのか「無名」なのかという議論がある。つまり「としあき」というハンドルで発表したのだとも考えられるし、システム上名前を入力しなければそうなるのだから「無名」だろうという考えもあろう。
ただ上記で述べたとおり、無名であろうと変名であろうと著作権上の権利は変わらないわけで、ここであまり論議しても長くなるし意味がないのでやめる。
個人的には無名だと出自が判明しないという理由から、著作者が名乗らないうちはとりあえず板固定のデフォルトネームを便宜上の発表名とする、つまり変名として発表したと考えるほうが良いように思う。ただしこれは、俺様はそのほうが良いのではないかと思う、というだけの話だ。


ちなみに「」については、名前が表示できないシステムなのだし「」と呼ぶのもあくまで便宜上のものなので、無名と解するのが適当だろう。


ここまでの論議のなかでわりと「著作者」と「著作権者」というのをごっちゃにしていたのだが(というか、結構重要な事なのにごっちゃにしているのに後で気がついた)、これらは必ずしも一緒ではない。というかかなり違う。
「著作者」以外の人間が「著作権(の一部)」を持つこともできる。最初著作権は著作者が持っているが(著作権法第十七条によればそうなっている)、権利の一部を譲渡したり売ったり、貸与したり、質権や担保にしたりすることもできる。というか、こういうことができないと商業出版物が成り立たなくなる。
著作権者」とは、著作者であるかどうかにかかわらず、ある著作物に対して何らかの著作権を持つ人または法人を指す。何らかの手段で著作権の一部を譲渡されることで、著作者でなくとも著作権者になることができることを頭に入れておいてほしい。
なお、著作権法が定める「著作権」のうち、著作者人格権というものは譲渡することができない。だから厳密には「著作権のすべて」を譲渡することはできない。ただこのあたり、言葉の用法を含めいろいろややこしいこともある。また、譲渡はともかく何をもって著作者以外が著作権者となるかはちょっと分からなかったので、もう少し調べて「著作権の権利」のところで詳しく論じたいと思う。


  • ここまでを簡単にまとめると

では、著作権者についてのここまでの話を、箇条でごく簡単に挙げてみる。

  • 特定の一人以上の著作権者が、ある特定の著作物(作品)に対して著作権を持つ。最初、著作者がその権利を享有する。
  • 著作者は無名で作品を発表する権利を持つ。無名であることを理由に著作権の存在を否定することはできない。
  • 匿名、著作者が不明の場合でも、基本的には著作権は著作者が持つ。不明であることを理由に著作権の存在を否定することはできない。
  • 無名や匿名であろうと、著作者が特定できる形で発表されるのと何ら変わらない著作権を持つ。
  • 著作者から著作権の譲渡を受けた場合、著作者以外の人(又は法人)が著作権者となることができる。権利の一部一部を、別々の者に譲渡することもできる。
  • 誰がOS娘に対する著作権者なのかという議論については、様々な説がある。OS娘という著作物がどのようなものなのかを考慮する必要がある。

なお、「誰がOS娘の著作権者なのか?」という議論については、何度も言っている通り「著作権者」という観点だけでは説明できない。3要素と、その他いくつかの論議のあとにこれは論じる。
また、著作者に絡む問題として「一次著作者と二次著作者」という問題が生じる。これは思われている以上に厄介な問題なので、後で述べることにする。
あとOS娘には関係ないが、2ch独自の「著作者」と「(管理人)ひろゆき」の関係については本章では敢えて触れない。これはいつか論じることが…多分ないと思う。



とまぁ、著作者についてはここまでだ。
まだまだ鬱陶しい論議は続くのだが、仕方ない。
読む方には「読み飛ばせば良い」と言えるのだが、書く側はそうは言ってられない。いや当然だが。


追記:2005/05/22 17:06:
大幅に書き直すかもと宣言した通り、かなり書き直した。

追記:2005/05/25 00:31:
著作権者と著作者をごっちゃにしていたのを書き直した。

*1:もしかしたら過去にそういう例がなかったとは限らないが、そのようなものを生むことの出来るシステムを俺様は想定することができない。また生まれたとしても、匿名のまま広く知られるためのシステムが想定できない。連歌などはある意味そういうものなのかと思うが、これについては意見があれば教えてほしい。

*2:以下本章では、著作権法 昭和四十五年五月六日 法律第四十八号 、平成 十六年十二月  一日 同 第百四十七号〔民法の一部を改正する法律附則第七十五条による改正〕 のものに基づく。

*3:これは単に、著作権者がいるけどそれが誰だか分からない、といった意味。多数いるが特定できないという意味ではおそらくない。

*4:厳密には、実名での公表とは保護期間などに差がある。ただし変名と無名では差はない。

そもそも著作権とは?

さて、ここでまずOS娘の著作権が侵害された場合を想定してみよう。


としあきが精魂込めて育てたOS娘!
それを我が物としようとする雑誌○○○○○○ーッ!
かくして雑誌○○○○○○ーはOS娘を奪い、○○○○○○ー独自のキャラとして発表!
当然としあきは怒り心頭!自分たちが生んだキャラクターを勝手に奪うなど言語道断!
としあきは○○○○○○ーを訴えようと裁判所に駆け込む!」
裁判所の係官「著作権者のとしあきとは誰ですか? 侵害された著作物であるOS娘とは、いったいどういう著作物ですか? 著作権者のとしあきさんは、OS娘という著作物に対してどのような権利を主張するのですか?」
としあき「ええと…?」
当然ながらこれはフィクションであって、現実の事件やら実在する雑誌とは関係ない。悪意があるかどうかは別として。


はたして、この問いに簡単に答えられるだろうか。
法律とは無情なものだ。こういうことが分からないと、法律は見向きもしてくれない。
逆に言えば著作権とはあくまで法律が定める権利なのだから、これらのこと、つまり「誰が、何に対して、どのような権利を持つのか」が判明しないと論議できない。そもそもこれがわかりにくいことが、OS娘などのネットキャラの著作権が分かりにくい理由であって、これをある程度判明させようとするのが本章の目的だ。OS娘が著作権に関して抱えている本質的な問題のひとつはそこだといえる。
それでは最初に、著作権を論じる上で根本的に必要な要素、
・誰が著作権者となる(なりうる)のか
・(OS娘の)著作物というのは何を指すのか、どのような著作物なのか
著作権者にどのような権利があるのか
の概要について書こうと思う。


ちなみに後でも述べるが、これは「著作者あって著作物が生まれる」という考え方に立つ。OS娘の著作権について述べられる時「著作物があって、そこに著作者がいる」という考え方もあるように思うのだが、根本的にその順序には無理がある。なぜなら、著作権法が定める「権利」はあくまで「著作者」のためのもので、「著作物」のためにあるのではない。「著作者」の権利を守るためにあって、「著作物」の権利を守るためにあるわけではないのだ。著作物は「人」ではないのだから。
つまり、著作権について述べる時は必ず「特定の著作者がある著作物に対して権利を持つ」というところから始めなければならない。これは当然かつ根本的なことなのだが、OS娘のように誰が生んだか分からず、(感情的には)誰が生み育てたのかということははっきりしないような場合、単純に考えると「著作権は誰が持つのか?」ということがはっきりしなくなる。これは実は、「OS娘」あるいは「各OS娘」を漠然と「全体としてひとつの作品」と捉えるから起こるのだが、その考えを単純に当てはめることはできない。
また、各OS娘を一系統の作品だと考えることはおそらく考え方のひとつとして可能なのだが、これも「何を」継承して「一系統」となっているのかを考えないといけない。これは結果として「どの権利を主張するか」ということに絡んでくる。


「そんなにややこしいならば、著作権は『ない』ということで良いではないか、別に議論する必要もないではないか」という考えもあるだろう。その場合「パブリック・ドメイン」という「著作権を放棄され、誰でも自由に使うことができる著作物」として扱うことになるが、これもいろいろな理由から難しい。
GPLのようなフリーライセンスに従えば良いではないか」という意見もあろう。これは実際俺様も有意だと思うのだが、少なくとも既存のライセンスにネットキャラクターを上手に保護できるようなものはない。また、どうしてもライセンス自体に作品や配布形態が縛られることになる。
パブリックドメインやフリーライセンスの問題については、本章最後で述べようと思う。